強いていえば「弱い人間」ということか
「吹雪」「河沙魚」(林芙美子)
(「林芙美子短編集」)
北九州市立文学館文庫

出征した夫・万平の
戦死の報を受け取ったかねは、
女手一つで年寄りと子どもたちを
養っていた。
やがてかねは、
同じように貧乏暮らしをしている
隣人・勝さんと良い仲になる。
だが、死んだはずの万平が、
実は生きているという噂が…。
「吹雪」
夫・隆吉が戦地に赴いている
四年の間、千穂子は
隆吉の父・与平の家に
引き取られて暮らしていた。
しかし彼女は義父と関係を持ち、
子まで宿してしまう。
終戦をむかえ、
千穂子は夫と会うことが
身を切られるよりも
辛いと感じるが…。
「河沙魚」
どちらも戦争中の
悲しい出来事を描いた小説です。
夫を兵隊に取られた妻が、
夫以外の男性と間違いを犯してしまう。
林芙美子がわざわざ
二作も書き上げたのですから、
もしかしたら当時、そのような状況は
珍しくなかったのでしょうか?
真偽の程はわかりません。
「吹雪」のかねの場合は、
気持ちがよくわかります。
夫は戦死したと
聞かされていたのですから。
不倫とは決して言えないでしょう。
隣の勝さんも独り身でしかも優しい。
結ばれても当然です。
ふと、古いイタリア映画「ひまわり」を
思い出してしまいました。
こちらは生死不明の夫を訪ねて
ロシアへ出掛けた妻が、
その地で結ばれてしまった
夫の家族と出会い、
飛び乗った列車の中で嗚咽する…という
内容だったでしょうか。
シチュエーションは大分違いますが、
似たような雰囲気を感じてしまいます。
「河沙魚」の千穂子は
やや事情が複雑です。
夫が死亡したわけでもないのに、
よりによって夫の父親と
関係してしまうのですから。
夫との間に子ども二人もあり、
寝たきりの姑も同居しているのです。
さらに、義父との間にできた子どもを、
金を払って
里子に出そうとさえするのです。
現代の物差しで
測ってはいけないのでしょう。
ここに描かれている人間は皆、
決して悪人ではないのです。
千穂子は健気に姑の世話をしながら
家を支えています。
与平も子どもたちにとっては
優しいおじいちゃん、
千穂子にとっても
優しい義父さんなのです。
だからこそ、二人とも
罪の意識に苛まれているのです。
強いていえば
「弱い人間」ということでしょうか。
戦争といういいようのない
巨大な不安が、かねと千穂子を
正しくない方向へと
押し流したといえます。
かね、千穂子の「弱い人間」二人は、
そしてその周囲の「弱い人間」たちは、
その時代の荒波に
飲み込まれただけなのかも知れません。
林芙美子は「貧乏人」と「弱い人間」を
描くのが上手い作家です。
この二作では、「河沙魚」の方が
より林芙美子らしい感じがします。
北九州市立文学館文庫という、
正規の流通ルートには乗らない
マニアックな出版社からの一冊です。
東京の林芙美子記念館を訪問した際、
購入したものです。
確認できていませんが、
おそらくこの二作品は、
他の出版社の(現在流通している)
文庫本には収録されていないはずです。
〔収録作品一案〕
「蒼馬を見たり 抄」(1929年)
「風琴と魚の町」(1931年)
「清貧の書」(1931年)
「吹雪」(1946年)
「河沙魚」(1947年)
「晩菊」(1948年)
「骨」(1949年)
「水仙」(1949年)
「下町」(1949年)
「夜猿」(1950年)
(2021.3.6)

【青空文庫】
「河沙魚」(林芙美子)
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