ヌマと京子、それぞれが表しているものは
「ヌマ叔母さん」(野溝七生子)
(「百年文庫075 鏡」)ポプラ社
外国に行ったきりだった
ヌマ叔母さんが帰ってきた。
ヌマ叔母さんの
温かな雰囲気に触れ、
鳰子はかつて母が
親戚中に言いふらしていた
「ヌマ叔母さんは
人食い鬼」という話が
全くの嘘であることに気付く。
鳰子の心は激しく揺れ動く…。
鳰子の母・京子は、
義理の妹であるヌマ(当時まだ十二歳)を
悪者に仕立て上げ、
自分の立場を守っていたのです。
そして娘にもそれを言い聞かせたため、
鳰子はずっと叔母であるヌマに
憎悪の念さえ抱いていたのです。
母親の言うがままに
生きてきた鳰子ですが、
結婚生活には幸せはなく、
戦争によって困窮し、
母親に対して疑問を持ち始めていた
矢先だったのです。
かつて悪し様に罵っていた相手に対し、
財産の分け前にあずかろうと
見苦しくすり寄る母親の姿を
目の当たりにし、
鳰子は人として何が大切なのかを
知るのです。
「母さん、天使は宝石なんぞで
飾り立ててはいませんものね、
私の子供は
二つのお乳だけで沢山です。
私の天使、すくすくとお育ち。」
京子の描かれ方を丹念に追ってみます。
誰かを「敵」に見立て、
自らを正当化する。
虚言を弄して周囲を騙し、
味方に引き入れる。
競争相手を追い落とし、
欲しいものを手に入れる。
虚飾に固執し、
自らにもそして周囲にも
価値のないものばかりを追い求める。
立場が変われば
手のひらを返したように接近する。
相手の人格や人間性には目もくれず、
所有物の金銭的価値だけを算段する。
作者・野上七生子はなぜこのような
醜い人物を設定したのか?
おそらく京子という人物は、
「戦争」もしくは「戦争に加担した人々」を
象徴したものなのでしょう。
新しい時代を生きる鳰子や阿字子は、
そうした「嘘」を見破り、
もはやまったく信じてはいないのです。
一方のヌマは端正で静かな女性として
綴られています。
そしてそれだけではなく、
何か幻想的なものとして
描かれているのです。
金銭援助を遠回しに要求する
京子に対しては
「初めからお終いまで
うんともすんとも云わなかった」。
入院している阿字子の
父親(ヌマの弟)の病室に現れ、
夢の中で会話していく。
最後は行方不明のように説明される。
作者の意図は?
鳰子もまた
ヌマの幻影に心を救われます。
破綻した夫との生活を回想し、
気が遠くなったときのことです。
「もう肺の中が空っぽになって、
このまま
死んでもいいと思っていた。
ヌマ叔母さんが走って来て、
倒れている鳰子の顔に
防毒面をかぶせて行った。
空気が入る、空気が入る。」
ヌマは、もしかしたら
「新鮮な空気」なのかも知れません。
戦争というおぞましいものを一掃する
「新鮮な空気」、
古い道徳や価値観、
目に見えない圧力を打ち払う
「爽やかな風」、
そうしたものを
具体化したものなのでしょう。
素晴らしい作品と、興味深い作家に
出会うことができました。
野溝七生子。
この作家についても
作品の多くが絶版状態のようです。
時間をかけて発掘し、
味わいたいと思います。
(2021.3.9)
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