「鮨」(岡本かの子)

母の力、強し

「鮨」(岡本かの子)
(「日本文学100年の名作 第3巻」)
 新潮文庫

「福ずし」にときどき訪れる
五十過ぎの紳士・湊は、
いつからか
「先生」と呼ばれていた。
店の看板娘・ともよは、
湊のことが気になっていた。
ある日、町で偶然、
湊に出会ったともよは
彼に問いかける。
「あなた、お鮨、
本当にお好きなの」…。

「鮨を喰べるということが
僕の慰みになるんだよ」と語る湊は、
その理由を静かに話し始めるのです。

昔、傾きかけた家に、
ある子どもがいた。
その子どもはひどい偏食であった。
魚、野菜は嫌い、
肉はまったく受け付けない。
子どもは次第にやせ細っていった。
一計を案じた母親が、
子どもの目の前で鮨をにぎった。
母親の美しい手で握られた
玉子焼鮨を食べると、
子供は、えもいわれぬ旨さを感じた。
続いて、烏賊、鯛、比良目、…。
母親の鮨に慣らされ、
子どもの偏食はいつしか改善された。
子どもは中学に入る時分には、
美しくたくましい少年に成長していた。

あたかも母鳥が雛の小さな嘴に
餌を分け与えるような、
慈しみ深い母子の情景が
浮かび上がります。
湊があまり好きでもない
鮨を食べに来るのは、
そうした少年時代の母親を思い出し、
ノスタルジックに
浸るためだったのです。
しみじみとした、いい話です。
岡本かの子の短編は、けっして
大きな展開の変化は現れないのですが、
淡泊でありながらも
深い味わいがあります。

さて、本作品は、
岡本の短編集「老妓抄」の中にも
収められているのですが、
この「日本文学100年の名作第3巻」
収録作品として取り上げました。
自身の短編集の中にあるときよりも、
作品の個性が
際立って感じられるのです。

「日本文学100年の名作第3巻」は、
1934年から1943年までの
10年間に発表された作品を集めた
アンソロジーです。
石川淳「マルスの歌」
海音寺潮五郎「唐薯武士」等、
戦時中の暗い影を反映した作品が
ほとんどです。
描かれているのは
庶民の貧しい生活ばかりです。
その中で「戦時の雰囲気」を
感じさせない作品は
本編ただ一つだけです。
時代の空気など微塵も意に介さず、
自分の書きたいものを書いた。
そんな岡本の気概を感じてしまいます。

巻末の解説を読むと、
少年時代の湊のモデルは何と、
作者の息子・岡本太郎氏
その人なのだそうです。
ひ弱な息子を愛情深く育て上げ、
爆発する芸術家として大成させる。
してみると鮨をにぎった母親は、
まさしく作者自身となります。
母の力、強しです。

※短編集「老妓抄」もお薦めです。

(2021.3.14)

【青空文庫】
「鮨」(岡本かの子)

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