貧乏を当たり前のものとして受け止めていた
「風琴と魚の町」(林芙美子)
(「風琴と魚の町・清貧の書」)新潮文庫
「風琴と魚の町」(林芙美子)
(「日本文学100年の名作第2巻」)
新潮文庫
行商を営んでいた一家は、
尾道に降りて商売をはじめる。
初めは化粧品が売れ、
白いご飯が
食べられていたのだが、
雨が続き、
次第に売り上げが落ちると、
また貧しさが押し寄せてきた。
その中で、「私」は
小学校に通うことになる…。
これまで取り上げた「清貧の書」
「耳輪のついた馬」「魚の序文」などの
林芙美子の一連の「貧乏小説」の中でも、
短篇第一作となるのが本作品です。
本作品の味わい深さの一つとして
挙げられるのは、
作品の舞台となっている尾道の
町並みが見えてくるような
描写の数々の巧みさです。
「鱗まびれになった若い男達が、
ヒュッ、ヒュッ、と口笛に合せて
魚の骨を叩いていた。」
「町の屋根の上には、
天幕がゆれていて、
桜の簪を差した娘達が
ゾロゾロ歩いていた。」
「露店のうどん屋が
鳥のように並んで、
仲士達が立ったまま、
つるつるとうどんを啜っていた。」
風景の美しさを直接描くのではなく、
そこに住む市井の人たちを
的確に描出することによって、
その当時の尾道の空気感が
現代の私たちにも
十分に伝わってきます。
二つめは、
その日暮らしの極貧状態にあって、
それを苦痛に感じていない
「私」のたくましさです。
列車の長旅から尾道で降りたとき、
母子は蓮根の天麩羅を一切れ買い
、二人で分け合って食べたきり、
あとは一文無しに近い状態なのです。
小さな子どもであればともかく、
「私」はすでに13歳。
食い気も色気も現れる年頃です。
住む家もなく転々としながら、
それでも貧乏に負けることなく
力強く生きているのです。
最もよく現れているのは
桟橋で小便をする場面でしょう。
「私は、あんまり長い小便に
あいそをつかしながら、
うんと力んで
自分の股間を覗いてみた。
白いプクプクした小山の向うに、
空と船が逆さに写っていた。
私は首筋が痛くなるほど
身を曲めた。
白い小山の向うから
霧を散らした尿が、
キラキラ光って
桟橋をぬらしている。」
底抜けな明るさです。
巻末の解説には、
「林芙美子は貧乏を愛した
作家である」とあります。
愛していたかどうかは別として、
林は貧乏を当たり前のものとして
受け止めていたことは確かでしょう。
殴って折檻する母親を
恨むわけでもなく、
気まぐれに行商を続ける父親を
蔑むわけでもなく、
周囲の裕福な人間を羨むのでもなく、
ましてや貧乏を憎むのでもなく、
「そこにあるもの」として
受け入れているのです。
林の一家はこの尾道に
数年滞在しています。
作品の「私」同様、林自身も
この地の小学校に通い、
2年遅れで卒業しています。
そしてその後は自らの稼ぎで
女学校に通い続け、
その4年間だけで
文筆の素地を築き上げ、
自らの思いを形にする術を
獲得していったのです。
(2021.3.20)
【青空文庫】
「風琴と魚の町」(林芙美子)