「戦国自衛隊」(半村良)

時間は彼らに何をさせようというのだろう

「戦国自衛隊」(半村良)角川文庫

伊庭の一団は
黒田秀春の軍勢を一蹴する。
昭和からタイムスリップした
重火器の前では、
戦国の小軍勢など
ものの数ではなかった。
伊庭は自分たちが時間の流れに
干渉していることに悩む。
時間は俺に
何をさせようというのだろう…。

SFアクション映画の大作「戦国自衛隊」。
私が中学生のときの作品です。
自衛隊が戦国の世にタイムスリップし、
大暴れするという、
なんともスリリングで
魅力的な映画でした。
当時も文庫本を買って
読んでいたのですが、
今回40年ぶりの再読となります。

本作品の味わいどころ①
合戦そのものには
重点を置かない筋書き

1979年に公開された映画では、
近代兵器対戦国武士団の戦いが
一つの面白さとなっていたのですが、
半村良・原作の本作品では
その場面は極力抑えた
描き方となっています。
合戦そのものには重点を置かず、
タイムスリップした隊員たちの
果たす役割や葛藤に
スポットを当てているのです。

本作品の味わいどころ②
時の流れを改編しているつもりが
修正していた構成の妙

タイムスリップを扱うSF作品は
「歴史の流れを変えない」という条件が
暗黙の約束事となっています。
タイムパラドックスの問題が
生じるからです。
だとすれば、自衛隊が
近代兵器を持って歴史に介入するのは
大反則ともいえる設定です。

しかし最後には
日本の歴史をあり得ないものにする
「改変」ではなく、
あるはずの姿に「修正」する作用として、
この戦国の自衛隊が
機能していたことが明かされ、
それが作品に深い味わいを
与えているのです。

ちなみに同様な設定のアメリカ映画に
「ファイナル・カウントダウン」という
映画(80年代の原子力空母が
真珠湾攻撃直前の世界に
タイムスリップする)がありましたが、
こちらはその
タイム・パラドックスに縛られ、
何事も起きず、何事も成さずに
現代へ帰還するという
酷いストーリーでしたが、
本作品はまったくそれとは違います。

本作品の味わいどころ③
戦闘の衝動を抑えきれない
男たちの群像

40年経って再読して気付いたのは、
戦闘衝動を抑えきれない
隊員たちの姿です。
タイムパラドックスを犯す罪の意識と
葛藤しながらも、伊庭は日本統一に
動き出してしまいます。

考えてみれば、
本作品が書かれた1971年当時は、
自衛隊が他国と一戦交えるという
状況にはありませんでした。
戦力を持ちながらも戦力たり得ない
当時の自衛隊員が
戦国時代にタイムスリップしたならば、
そのような行動に走るのは
十分あり得るのではないかと
思われます。

こうした本作品の面白さは、
40年経った現在読んでも
少しも色褪せていません。
やはり日本SFの
金字塔的作品といえます。

さて、現代ではどうなのでしょうか。
自衛隊が海外へ出動することが
可能となり、戦争に加担する可能性は
十分にあります。
尖閣諸島をめぐる緊張は高まり、
北の軍事挑発も見過ごせない上、
同盟であるはずの韓国軍も
日本を仮想敵と見なしているかのような
振る舞いが目立ちます。

70年代を上回る
超近代兵器を擁する令和の自衛隊が、
もしも戦国時代に
タイムスリップしたら…
果たしてこのような筋書きが
リアリティを持つかどうか。
本作品もやはり
時を得た作品だったのでしょう。

※当時購入した文庫本は、
 確か永井豪のイラスト装幀だったと
 記憶しています。
 それを処分してしまったことを
 後悔しました。
 本書のような
 「新装版」をつくるよりも、
 懐かしい装幀の「復刻版」こそ
 つくってほしいものです。

(2021.3.29)

Robert ArmstrongによるPixabayからの画像

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