昔、確かに「いい時代」があったのです
「あんちゃん、おやすみ」(佐伯一麦)
新潮文庫
裏庭に、少年は
自分だけの花壇を作った。
少年の庭は一風変わっている。
チューリップやパンジーなどの
花は植えない。
少年が一生懸命路地裏から
移植してきたのはゼニゴケだ。
地面をおおうようになった
コケに、少年は水をまく…。
200頁足らずに
47篇の掌篇を詰め込んだ
佐伯一麦の「あんちゃん、おやすみ」。
一人の少年の、幼児時代から
小学校(おそらく高学年)までの日々の
出来事を切り取って集めた、
スクラップブックのような作品集です。
著者の実体験を相当忠実に反映した
私小説なのでしょうが、読み進めると、
「あるある、こんなこと」と
ついうなずいてしまいます。
「体温計」
そういえば昔は水銀の入った体温計を
使ったものでした。
本作品の「かれ」のように、
私も幼い頃、体温計を壊して
慌てたことがあります。
親はもっと慌てていたことを
記憶しています。
「パッタ」
標準語でメンコ。
でもメンコなどという言葉は
使っていませんでした。
私の周囲では、攻撃用と守備用を
使い分けていた記憶があります。
「かまくら」
著者は太平洋側で
積雪の少ない地域ですが、
私は「かまくら」の
本家本元に住んでいるので、
子どもの頃はつくるのを
よく手伝いました。
「カビ」
小学生の頃(昭和50年代)、
食べない給食は持って帰る
習慣がありました
(今では考えられませんが)。
残した食パンをランドセルに入れたまま
すっかり忘れて、気付いたら
カビが生えていたことがありました。
著者のように研究のためでは
ありませんでしたが。
ここで気付くのは、
親を初めとする周囲の大人は、
決して子どもに優しく
接してはいないということです。
それでも幼少の「かれ」は
次第に「少年」へと
たくましく成長しているのです。
友達とのいざこざの中から
友人関係の作り方を覚え、
近所の怖いおじさんから
大人に対する接し方を覚え、
学校生活での数々の失敗から
集団での振る舞い方を覚え、
豊かな自然から
生命のなんたるかを学んでいるのです。
手取り足取り優しく教え導いてくれる
大人がいない代わりに、
実に多くの生活体験が
ここには綴られているのです。
現代はどうでしょうか。
親や教師を初めとして大人たちは、
子どもが失敗しないように、
嫌な思いをしないように、
目をかけ手をかけ声をかけ、
優しく温かく大切に育てています。
その結果、温室育ちの草花のような、
僅かの環境の変化で
すぐに萎れてしまうような、
ひ弱な子どもたちばかり
育っているのではないでしょうか。
本作品を再読し、
改めてそう感じてしまいました。
かと言って、今さら時代を
逆戻しすることはできません。
目をかけ手をかけ声をかける中で、
いかに精神的に
たくましい人間をつくるか、
日々考えています。
昔、確かに「いい時代」があったのです。
(2021.4.2)