「誰にも書ける一冊の本」(荻原浩)

人生を肯定的に捉え直すことのできる一冊

「誰にも書ける一冊の本」(荻原浩)
 光文社文庫

母が「私」に手渡したのは、
父が遺した原稿用紙の束。
そこには「私」の知らない
父の姿が記されてあった。
文学に興味など
示さなかった父がなぜ?
しかし原稿が語る「父の半生」は、
疎遠だった父と「私」の距離を、
少しずつ埋めていく…。

「私」が駆けつけたときには
すでに意識のなかった父親。
文学などには縁遠かった父親が書いた
「自叙伝」からは、
「私」の知らなかった父の姿が
次々に現れてくるのです。

「私」は
小さな広告代理店を営む男性です。
妻と離婚し、大学生になる娘がいます。
作家に憧れ、
本を二冊書いたものの
商業的には成功しなかったため、
三冊目は出ていません。
作家としては成功しなかったのです。
人生の半ばにきて、
「私」は自分の生き方に
疑問を感じているのです。

本作品は、父親の死に立ち会う
「私」の記述の間に、
父親の「自叙伝」が織り込まれる
構成となっています。
筋書きの進行につれて、
父と子の距離が
次第に縮まってくる様子が印象的です。

大学進学が戦争によって
挫かれた父親と、
故郷を離れたい一心で
東京の大学に進学した「私」、
妻と結婚しながらも故郷に残した
許嫁に思いを残していた父親と、
心の通じ合う職場の後輩がいながら
妻を持ちそして離婚した「私」、
戦争で敵機を撃墜し
人を殺した重荷を背負っていた父親と、
契約解除により
自殺者を出してしまったことが
心に刺さっていた「私」、
そして何よりも、
かつて文学を愛していた父親と、
文学に行き詰まった「私」。
二人の人生が激しく交錯していきます。
初めは父の書いた「自叙伝」を
蔑んですらいた「私」ですが、
それをもとに、最後は自分の人生を
肯定的に捉え直していくのです。

それは「私」だけではなく
読み手も同様でしょう。
自分のそれまでの来し方を
一冊の本にしたならば、
それは確かな意味を持ち、
誰かの心に思いを伝え、
確固とした輝きを放つ。
そう信じさせてくれる作品です。

「父親の生き方をよく知らない」。
そういう方は多いと思います。
私もそうです。
それ故、
自分の価値観の物差しで推し量り、
父親の生き方を
否定してきたような気がします。
私も成人した子どもを持つ身、
もしかしたら我が子から
「否定」されているのかも知れません。
それはそれで仕方がないと
思っていましたが、
本作品の「父」は羨ましい限りです。
自身の表した「自叙伝」によって
息子に思いを伝えることに
成功しているのですから。
いやいや、死んでからではなく、
生きているうちに伝える方法を
考えるべきなのでしょう。

(2021.4.5)

Free-PhotosによるPixabayからの画像

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