歴史小説が好きな人は読んではいけません
「榎本武揚」(安部公房)中公文庫

自らの過去を
箱館戦争の指揮官・榎本武揚と
照らし合わせることによって、
自分の生き方の正当性を
証明しようとする元憲兵・福地。
彼が見つけ出した
文献「顛末記」は、
それを証明するどころか、
彼が思い描いていた榎本像を
粉砕する…。
三つの章で構成される物語は、
元憲兵・福地伸六が物書きの「私」に語る
榎本武揚像から始まります。
その第一章は、
「私」と福地の邂逅からはじまり、
数年後の福地の失踪と、
彼から古文書の書き写し「顛末記」が
送られてくるまでを描いています。
謎に包まれた人物・榎本武揚をめぐる
歴史解明小説か?…と思いきや、
その後の展開は
読み手の予想を見事に裏切ります。
第二章はその「顛末記」を中心に、
函館戦争後の浅井十三郎
(多分架空の人物)の榎本暗殺の企て、
そして時系列を遡って、
箱館戦争に至るまでの榎本、
土方歳三、大鳥圭介の行動が
描かれていきます。
一体何を考えているのかわからない
榎本の行動が明かされます。
謎は深まるばかりです。
第三章では「顛末記」と福地氏の手記、
「私」の取材から、
幕軍最後の抵抗であった箱館戦争が、
実は巧妙に負けるよう仕組まれた
八百長戦争であったことが
明らかになるのです。
幕府と政府の両方に仕えた榎本武揚は
節操のない「転向者」などではなく、
時代の流れを冷静に見つめながら
茶番を演じた、
希有な策士であったというのです。
再読であるにもかかわらず、
十分に面白く読むことができました。
幕末の歴史物は、
その多くが、熱血の志を
思い切り暑苦しく描いた
感動巨編になりがちです。
安部公房はそんなものには
見向きもしていません。
ここで安部が描きたかったのは、
最後まで政府に抵抗した
幕末の人物像でもなければ、
ましてや時代に翻弄された
不器用な若者像でもありません。
時代の変遷を読み取り、
その中で他との衝突を回避し、
利口に生き延びようとした
榎本武揚像なのではないでしょうか。
「歴史上の人物は全部が全部、
劇画調の生き方を
していたわけじゃないのですよ」という
安部のつぶやきが聞こえそうです。
いや、さらに考えれば、
榎本武揚は安部にとっては
単なる小説の素材でしかないのかも
知れません。
「自分はただ忠実に職務を
全うしただけ」という
元憲兵の生き方・考え方を
徹底的に打ち砕き、
何かに忠誠を尽くすことの愚かさを
浮き彫りにしたかったのではないかとも
考えられます。
この小説が書かれたのは六十年代。
高度経済成長期であり、
会社に忠誠を尽くし、
「モーレツ」に働く会社員像が
定着しつつある時期です。
人々が戦争で国家に忠節を尽くした。
それが終わると、
今度は会社にすべてを捧げる。
そうした風潮に対しての
安部特有の痛烈な風刺ではないかと
考えられるのです。
だとすると、やはりこの小説、
歴史小説などではないのでしょう。
どこまで本当でどこから嘘なのかの
判別の難しい作品です。
史実に嘘を巧みに織り交ぜ、
本物のように見える
精巧な虚構を創り出すのは、
安部の得意技です。
歴史小説が好きな人は
間違っても読んではいけません。
やはり安部公房の世界が好きな人向けの
観念的な小説でしょう。
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(2021.4.7)

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