「二閑人交游図」(上林暁)

「余裕」こそが幸せなのだろうと思います

「二閑人交游図」(上林暁)
(「百年文庫012 釣」)ポプラ社

ドイツ文学者の「滝沢氏」と
私小説作家の「小早川君」は、
それぞれ家族を抱えながら
仕事に精を出していた。
その一方で、生活に余裕は
ないはずでありながら、
二人は将棋を指し、
釣りを楽しみ、
酒を酌み交わし、
銭湯へと足を運ぶ…。

タイトルには「二閑人」とありますが、
二人とも「暇人」ではありません。
むしろ金がなく、
生活するのに手一杯という
状況なのです。
滝沢氏は十銭玉一枚をもって
出版社へ出向きますが、
当てが外れて原稿料を
現金で支給されず途方に暮れます。
小早川君は郷里の父親が孫の学資へと
贈ってくれた債権を切り崩して
当座の生活費に当てている始末です。
金は左から右へと
流れていくばかりです。

でも、将棋、釣り、酒、風呂と、
二人は忙しい中にも
これだけ人生を楽しんでいるのです。
だから「閑人」なのでしょう。

将棋を指すときには「二百番手合わせ」。
一局指すにも
それなりに時間がかかる将棋を、
三年越しに勝負を続ける、
なんとも気長な二人です。

二人そろって釣りに出かけるものの、
釣り糸を垂らすのは
もっぱら「滝沢氏」で、
「小早川君」は寝転がっているばかり。

こうした二人の姿から感じられるのは、
「金は暮らしていけるだけ
あればいい」ということと
「人生を十分に楽しみたい」ということ。
職業で名を為していこうとする野心は
微塵も感じられません。
これこそが「余裕」=「閑」なのでは
ないかと思うのです。

私も十数年ほど前、
長男の抱えた障害が
目立つようになってきてから、
仕事一辺倒の生活をやめました。
仕事に対する責任は
しっかり果たしながら、
家族との時間、そして自分の時間を
確保するよう努めています。
休日には頑張って
「仕事をしない」ようにしています。

そうしたら、見えてくるものが
違ってきたように思います。
家族と生活すること自体に
幸せを感じることが
できるようになりました。
文学やクラシック音楽から
多くのことを感じ取ることが
できるようになりました。

この二閑人から伝わってくるのは
幸せに暮らしている人間の息吹です。
「余裕」こそが
幸せなのだろうと思います。
事件の全く起きない
筋書きを楽しめるのも、
「余裕」がないとできないことです。
すでに季節は四月。
新年度に入っています。
みなさん、「余裕」を持って
人生を楽しみましょう。

(2021.4.9)

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

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