「運命は決して人を見捨てない」というメッセージ
「献立表の春」(O.ヘンリー/芹澤恵訳)
(「1ドルの価値/賢者の贈り物 他21編」)
光文社古典新訳文庫
「春はアラカルト」
(O.ヘンリー/小川高義訳)
(「O.ヘンリー傑作選Ⅰ」)新潮文庫
セアラは献立表を
タイプで清書する対価として
毎日三食を受け取る契約を、
「ホームレストラン」と
交わしていた。
彼女はある日、
献立を打ち込むのに涙を流す。
婚約者との思い出の花である
タンポポが献立に
加えられていたからだ…。
O.ヘンリーの短篇は
どれもおしゃれですが、
その中でも私が好きなのが本作品です。
実は本作品も、私は初読の際、
どこが面白いか
よくわかりませんでした。
おそらく日本人がO.ヘンリーの作品の
魅力を味わうためには、
十分な咀嚼が必要なのでしょう。
彼女はなぜタンポポ料理に涙したか?
彼女は「春になったら迎えに来る」という
婚約者が、いまだに現れず、
悲しみに耽っていたのです。
そんな折にメニューには
タンポポを使った料理が。
タンポポこそ、
彼との思い出の詰まった草花なのです。
何物にも代えがたい
思い出の「タンポポ」が、
定食のメニューに供されるのは、
自分のこの恋が
終わってしまったというように
受け止めたのです。
世間には春が訪れているのに
自分には幸せが訪れない。
それ故の「タンポポ」なのです。
婚約者はなぜ彼女を迎えに来ないのか?
彼女は引っ越しをしたものの、
それを告げる手紙が何らかの事情で
彼の元へは届かなかったのです。
おそらく彼女は
貧しい生活を送っていたのでしょう。
タイピストとしての仕事は
ほかに持っていません。
三食を得るので精一杯なのです。
もちろん「悲しみ」に沈んだまま
終わらせるO.ヘンリーではありません。
最後の場面では、
婚約者が彼女の居場所を突き止め、
幸せな再会を果たします。
その手がかりとなったのが、
彼女が打った献立表なのです。
婚約者は、たまたま飛び込んだ
「ホームレストラン」で、
彼女の打った献立表を
目にしたのでした。
「うえに飛び出す癖のある、
ちょっとひしゃげたWの大文字は、
きみのタイプライターじゃなきゃ
打てない」。
「タンポポの綴り(dandelion)に
Wの字は入ってないけれど?」
何と献立表には「茹で卵添え、
愛しいウォルター(Dearest Walter)」。
「タンポポ」と打つべきところを、
無意識のうちに婚約者の名前を
打ち込んでいたのでした。
世の中、何が幸いするかわかりません。
貧しい故に彼女が使っていた、
活字のひしゃげたタイプライターが
二人を再び結びつけたのです。
「運命は決して人を見捨てない」という
O.ヘンリーのメッセージのようにも
感じられます。
世界はまだコロナ渦にあり、
心が弾むような春とは
いいかねる毎日が続いています。
せめてO.ヘンリーでも読んで、
心の洗濯といきましょう。
(2021.4.10)