なぜこのような軍国主義的展開に?
「玉篋両浦嶼」(森鷗外)
(「森鷗外全集5」)ちくま文庫
竜宮で暮らす浦島太郎は、
地上の夢を見たことにより、
眠っていた人間としての
血が騒ぎ出す。
ついには乙姫に別れを告げ、
地上へ舞い戻る決心をする。
故郷の浜に辿り着いた彼を
待ち受けていたのは、
もう一人の浦島太郎だった…。
森鷗外が書いた戯曲・浦島太郎。
昔話とは筋書きが異なります。
一つは竜宮へ住み着いたきっかけです。
この戯曲には
浦島が亀を助けた事実は存在しません。
大漁に時の経つのを忘れ、
嵐に飲み込まれ、
海底へと引きずり込まれたのです。
もう一つの違いは
地上に出てからの太郎の行動です。
もう一人の浦島太郎とは、
太郎の末裔なのです。
後の太郎は、
海を越えて単身他国へ切り込もうという
壮大な計画を実行しようとしていた
最中だったのです。
太郎は後の太郎の勇ましい姿勢に
心を打たれ、
竜宮から持ち帰った財宝を彼に与え、
出陣を促すのです。
なぜこのような展開に?
「おう。いさましや。
わたつみの
かみのみやこを
わがいでしも
おなじこころよ。
さりながら
おもふは先祖。
行ふは子孫」
「事業をわかき
わがすゑに
つたえおこなふ
ことをうる、
これもひとつの
不老不死」
海外進出はかねてからの宿願であった。
かつての日本人にはできなかったが、
それを子孫の代で
実行できるようになった。
そう読み取ることも可能です。
本作品の発表は明治三十五年。
日清日露両戦争の間にあって
富国強兵政策が進展していた時代です。
作家・森鷗外は同時に
軍人・森林太郎でもありました。
本作品は鷗外の軍人としての顔が
覗いた作品なのでしょうか。
さて、鷗外はほかにも
いくつかの戯曲を遺していますが、
本作品はそれらとは
大きく異なる特徴を持っています。
先ほど引用した
原文からもわかるように、
人物の科白はすべて七五調です。
鷗外が何らかの「歌」を
想定していたことは確かです。
鷗外自ら書いた解説文には、
「浦島とオペラとは何の関係もない」と
あるのですが、
その理由として挙げられているのが
「作曲が困難」
「オペラを歌える人材が
我が国にはいない」なのです。
裏を返せば、
その条件さえクリアできれば
オペラには十分なり得るともとれます。
もしかしたら後世の日本人作曲家が、
このテクストに曲を付け、
歌劇として完成させることも
あり得るかも知れません。
当時の日本がめざしていたのは
軍隊の強さだけではありませんでした。
芸術・文化の面においても
欧米に追いつこうと懸命だったのです。
海外派兵ではなく芸術振興にこそ、
本作品の創作の意図が
あったのかも知れません。
※「玉篋両浦嶼」
=「たまくしげふたりうらしま」と
読みます。
(2021.4.15)