釣り―何という贅沢な時間の過ごし方
「百年文庫012 釣」ポプラ社

「白毛 井伏鱒二」
この頃白髪の増えた「私」は、
無意識のうちに
抜き取った白毛を繋ぎ合わせ、
渓流釣りの
釣糸のようにしている。
しかし、「私」には
渓流釣りと白毛にまつわる
不快で腹立たしい
記憶を持っている。
それは去年の夏であった…。
アンソロジーとしての百年文庫を
取り上げるのも、
これでちょうど30冊目です。
全100冊のうち、
すでに半分は読み終えていますので、
あとはどんどん記事を
作成していきたいと思っています。
さて、この巻のテーマは「釣」。
私とは無縁です。
そもそも私には
釣りの良さがわかりません。
「魚なら買って食べればいいのに」
などと無粋なことを思ってしまいます。
「幻談 幸田露伴」
二日続けて
あたりの出なかった釣り客は、
終いには竿まで
失う羽目になってしまう。
その帰途、客と船頭は
海面から細長いものが
上下するのを見つける。
近づいてみると
それは上物の釣竿だった。
その釣竿を
引き上げようとすると…。
三篇を読んで
何となくわかってきました。
これまで釣りは
時間に余裕のある人間
(悪く言えば暇人)のすることだと
思っていたのですが、
そうではないのです。
心に余裕のある
人格者の趣味なのだと感じました。
「二閑人交游図 上林暁」
ドイツ文学者の「滝沢氏」と
私小説作家の「小早川君」は、
それぞれ家族を抱えながら
仕事に精を出していた。
その一方で、生活に余裕は
ないはずでありながら、
二人は将棋を指し、
釣りを楽しみ、
酒を酌み交わし、
銭湯へと足を運ぶ…。
「白毛」の「私」も、
若者二人にひどいことをされたことを
ぼやきながらも
寛容な心持ちを忘れていません
(どうもこれはフィクションであり、
こうした事実はないらしいのですが)。
「幻談」の釣り客も
人間のできた侍です。
「二閑人」の滝沢氏も悠々自適です。
雄大な自然と対峙し、
焦らずじっくりと魚との対話を楽しむ。
何という贅沢な時間の過ごし方。
それは著者三人の
器の大きさでもあるのでしょう。
本書を読んで、
釣りをやってみたいとは
思いませんでしたが、
こうした境地に
早く立てるようになりたいと
感じた今日この頃です。
(2021.4.20)
