「死」に向かって進んでいく自走式ベッド(と「ぼく」)
「カンガルー・ノート」(安部公房)
新潮文庫
突然「かいわれ大根」が
脛に自生した「ぼく」は、
訪れた病院で麻酔を打たれ、
意識を失う。
気付くとベッドに括り付けられ、
硫黄温泉行きを
医師から命じられる。
「ぼく」を載せたまま
ベッドは自走しはじめる。
ベッドが向かう先は…。
安部公房の
最後の長編作品であるとともに、
最もアヴァンギャルドであり、
読み手の理解を
徹底的に拒み続ける作品です。
筋書きの中心に据えられている
「自走式ベッド」は、
「ぼく」の意志に呼応しているのか、
プログラムに従って動いているのか、
それともベッド自身が
思考して行動しているのか、
わかりません。
「ぼく」以外の重要な登場人物である
「垂れ眼の女」A、B、Cは
同一人物の変形なのか、
関連のある別人なのか、
赤の他人なのか、
それもわかりません。
もちろん、
安部が何を伝えようとしているのか、
皆目見当すらつきません。
しかし明らかなことが二つあります。
一つは、
「ぼく」はベッドしか
頼れないということです。
財布も身分証も
すべて最初の病院に置き去りにしてきた
「ぼく」にとって、
この不条理な世界から逃げたくても
逃げることができないのです。
唯一の居場所であり、
移動手段であるのが
この自走式ベッドなのです。
さらにはベッドが
「ぼく」を追いかけてくるのですから、
離れることなどできないのです。
そしてもう一つ明らかなのは、
自走式ベッド(と「ぼく」)は、
「死」に向かって
突き進んでいることです。
ベッドが経由するのは
「廃坑」「暗渠の下水溝」
「賽の河原」「別の大病院」、
すべて「死」の匂いのする場所です。
そして最終頁には
「ぼく」の「死」を暗示する
死亡記事が載せられています。
医者の手に負えない
「奇病」を発症した人間は、
無理矢理ベッドに載せられ
「死」に向かって運ばれる。
いろいろな治療を施されても、
それは「死」の匂いに
慣れていくためのものに過ぎず、
「死」は避けられない。
病院のベッドに横たわって
「死」を待つ以外の選択肢は存在しない。
そんな絶望的な様相が
見え隠れしているように、
私には感じられました。
本作品の発表は1991年。
その翌年の暮れ、
安部は執筆中に
脳内出血による意識障害を起こし、
大学病院に入院。
年が明けて退院したものの、
自宅療養中に急性心不全を起こし、
この世を去っています。
まるで安部が自らの死を予感し、
理不尽に訪れる「死」を
本作品で描き尽くしたかのようです。
安部公房の死からすでに
三十年が経過しようとしていますが、
本作品の全貌は、
いまだ誰にもつかめないままの
状態かと思われます。
(2021.5.3)
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