五人の子どもたちの生き生きとした夜更かし
「子供たち」
(チェーホフ/池田健太郎訳)
(「百年文庫040 瞳」)ポプラ社
グリーシャ、アーニャ、
アリョーシャ、ソーニャ、
アンドレイの
五人の子どもたちは、
食堂で遊びに興じている。
本当はもう
寝る時間なのだけれど、
パパもママも出かけていて
大人は誰もいない。
子どもたちだけの
至福の時間は…。
子どもの頃、
夜遅くまで起きて遊んでいるのは
不思議な楽しさがありました。
もっとも本作品のように、
両親が遅くまで出かけていて、
子どもだけで夜を過ごすことなど
ありません。
せいぜい休日の前夜、
部屋で夜更かしする程度でした。
また、私には三つ下の弟がいたのですが、
兄弟二人でできることには
限りがありました。
チェーホフが描いた本作品では、
五人の子どもたちの生き生きとした
夜更かしの様子が描かれています。
子どもたちが興じていたのは
ロトー遊びとやら。
おそらく日本の花札のようなものと
推察されます。
それを小銭を賭けて遊んでいるのです。
子どもがギャンブル?などという
大人の杓子で測ってはいけません。
五人は年齢差があり、
賭け事としてとらえてはいないのです。
一番上の9歳のグリーシャは、
お金のことを考えて
ゲームを行っています。
「もし小皿のうえに一コペイカ銅貨が
乗っていなかったら、
とっくに寝ていただろう」。
その下の8歳の妹・アーニャは
プライドを賭けて
ゲームに参加しています。
「彼女はお金には興味はない。
自尊心の問題である」。
6歳の妹・ソーニャは
ゲームそのものが楽しいのです。
「誰が勝っても、彼女は同じように
きゃっきゃっと笑って、
ぱちぱち手を叩いている」。
アリョーシャは曲者であり、
ゲームの過程で起こる
兄弟どうしの喧嘩を見たくて
加わっているのです。
「誰かがぶんなぐったり
ののしったりするのが、
面白くてたまらない」。
アンドレイはゲームの
数学性の面白さに夢中になっています。
「この世には違った数字が
幾つあるんだろう」。
それぞれが全く異なる価値観で
遊んでいるにもかかわらず、
それは破綻せず(ゲームとしては
成り立っていないものの)、
一つの遊びとして完結しているのです。
兄弟とはいえ、
異年齢の子ども集団が、
それぞれの年齢に応じて
一つの遊びを楽しむ。
目を輝かせながら遊んでいる
子どもたちの姿が見えるようです。
現代はどうでしょうか。
TVゲーム等では
こうはいかないでしょう。
五人兄弟の家庭など
そうそうないでしょうし。
本作品の子どもたちが
羨ましいかぎりです。
(2021.5.5)
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