「馬の脚」(芥川龍之介)

芥川が隠したかった「馬脚」とは何だったのか

「馬の脚」(芥川龍之介)
(「芥川龍之介全集5」)ちくま文庫

「馬の脚」(芥川龍之介)
(「河童・玄鶴山房」)角川文庫

北京在住の会社員忍野は、
ある日、脳溢血で死ぬ。
天国ともおぼしきところで、
彼は神の手違いで
死んでしまったこと、
彼の脚はすでに腐ってしまい、
代わりに馬の脚をつけて
現世に送り返されることを聞く。
彼は馬脚で生き返り…。

以前読んだアンデルセン「赤い靴」
思い出しました。
赤い靴の美少女が、
死ぬまでその靴で踊り続けるという
呪いをかけられたお話です。
一方、本作品は、
三十前後のおじさんが馬の脚のまま
野山を駆けまわるという、
何とも奇想天外な物語です。

生き返ってからの彼は大変です。
脚を妻にも見られぬよう
隠さなければならないのは
当然のこととして、
馬の脚ですから、
蚤だらけで痒い、
獣臭もひどい、
力加減も難しく、
つい床を踏み抜いてしまう。
着物には馬の毛がふんだんに付くため、
洗濯も自分でする羽目に。
大変な事態に陥ります。

いや、本当の悲劇はその後です。
春の嵐で蒙古からの砂埃が
舞うようになるやいなや、
彼の脚は馬の本性をむき出しにして、
縦横無尽に駆け回り、
やがて彼は姿を消します。

滑稽な筋書きだけを読めば、
「鼻」「仙人」「酒虫」など、
初期作品の一つかと思うところですが、
本作発表は大正十四年。
芥川が自ら命を絶つ二年前の、
晩年の作品なのです。
したがって初期作品とは異なり、
芥川本人の苦悩が
そこここに見え隠れしています。

忍野の失踪は
「発狂のため」とされてしまいます。
そして新聞は
「一家の長たるものの責任は重く、
発狂する権利などない」と
断罪するのです。
執筆当時、
芥川はすでに精神を病んでいました。
つまり、本作品の忍野は、
芥川その人と
考えることができるのです。
さらに、メディアという権力が、
「家長に発狂の権利なし」と
あたかも理不尽な押しつけのように
描かれているのは、
裏を返せば芥川の
「発狂願望」「破滅願望」の現れと
考えることもできるのです。

さて、馬の脚から連想されるのは
「馬脚を現す」という諺です。
忍野はひたすら馬脚が現れないように
隠し通したのですが、
その言葉自体は
「悪事が露見すること」など、
悪い意味に使われるものです。
忍野が芥川の分身だとしたら、
芥川が隠したかった「馬脚」とは
一体何だったのか。
興味の尽きないところです。

(2021.5.20)

Ryan McGuireによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「馬の脚」(芥川龍之介)

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