再読のたびに違った二つを顔を見せる作品
「喪神」(五味康祐)
(「日本文学100年の名作第4巻」)
新潮文庫
「喪神」(五味康祐)
(「百年文庫090 怪」)ポプラ社
十七歳の若い侍・哲郎太は
多武峯に隠居している幻雲斎に
仇討ちを挑む。
十四年前の真剣勝負で
父が幻雲斎に
斬られていたからだった。
しかし幻雲斎の剣の腕は、
哲郎太の
敵うところではなかった。
哲郎太は幻雲斎のもとで
修行する…。
粗筋にしてみれば、
ありふれた剣豪小説です。
ところが幻雲斎の剣は妖剣。
自らは切り込むことはなく、専守防衛。
それでいて攻撃してくる相手を
無我の境地で斬り捨てる。
一撃必殺、無敵の剣なのです。
何度か再読しましたが、そのたびに
違った二つを顔を見せる作品です。
一つは純文学の顔、
もう一つは娯楽作品いや
冗談小説とでもいうべき二つの顔です。
本作品が純文学の顔を持つことは、
芥川賞を受賞していることからも
説明できます。
「その練達な筆致が群を抜いて」
「極めて独創的な造型力」
「非凡の才能」と、
選考委員の佐藤春夫や坂口安吾が
激賞したことからも、
純文学としての価値の高さを
うかがい知ることができます
(その一方で舟橋聖一、川端康成、
宇野浩二らは否定的な評価を
下しているのですが)。
相手への攻撃の意識を捨てて
初めて得られる必殺剣、
敵に弟子入りした果てに成された
仇討ち、そうした設定には、
人生に通じる深い主題が
潜んでいることは明らかであり、
選考委員の評などなくとも
その文学性の高さは
疑いようがないと思われます。
加えてその文章・文体は格調が高く、
純文学としての風貌を
十分に持ち合わせているのです。
その一方で、
およそ現実離れした必殺剣。
文面からは劇画調の剣豪漫画しか
情景が浮かび上がりません。
無敵の剣という設定、
「幻雲斎」というネーミング、
自らの命を代償として
弟子の妙技の習得を推し量る終末等々、
現代からすれば剣豪漫画や武闘漫画を
彷彿とさせる面白さの連続です
(もしかしたら本作品が
その先駆けだったのかも知れませんが)。
芥川賞ではなく
直木賞受賞の間違いではないかと
思わせるほどです。
純文学作品という意識で再読すると
極上のエンターテインメントとしての
横顔をのぞかせ、
娯楽として楽しもうと思って
読み進めると、
純文学としての大きな主題が姿を現す。
本作品の文学的価値は、
まさに幻雲斎の剣よろしく
読み手の意に反した面ばかりを
見せてくるのです。
作者・五味康祐のその後の作品を見ると、
ほぼすべてが娯楽作品です。
作者もまた幻雲斎のように、
芥川賞を獲ろうと思わずに臨んだら、
意に反して獲ってしまったという
口なのでしょうか。
面白すぎる作家です、五味康祐。
(2021.5.23)