石川の狙いはどちらだったのか?
「僕たちの失敗」(石川達三)新潮文庫
「僕」は会社の同僚・
伊吹まさ子と結婚する。
しかしそれは
お互いの生活を束縛しない、
同居もしない、
3年間の契約で
結婚生活を継続し、3年経過後、
改めて1年ごとに
それを見直すという、
それまでの常識から
かけ離れた形態だった…。
石川達三が
昭和36年に発表した作品です。
以前取り上げた「開きすぎた扉」同様、
戦後の若者たちの
新しい価値観の問題点を切り取った
作品の一つであり、
石川達三らしい作風といえるでしょう。
新しい結婚観に基づいて
婚姻生活を始めた「僕」の試みは、
表題通り僅か一年あまりで
頓挫してしまいます。しかし、
石川が問いかけている「失敗」は、
単に非常識な(当時において)
結婚生活の破綻だけではないと
考えられます。
【主要登場人物】
福田信太郎
…「僕」。大卒で公務員となるが、
束縛を嫌い職工となる。
まさ子と契約結婚。
伊吹まさ子
…「僕」と結婚。別居結婚を提案。
徳丸恵子
…信太郎に思いを寄せる。
その一方で他の同僚とも
関係を重ねる。
片桐整三
…「僕」の大学の同期であり、
まさ子の幼馴染み。
渡辺作太
…「僕」の職場上司。
福田八重子
…「僕」の母。
若くして夫と死に別れる。
「僕」の失敗①
束縛されるのは嫌うが、
周囲を束縛していることに気付かない
結婚しても妻から
生活のすべてを束縛されることを嫌い、
自らは同じ同僚の恵子と
関係を持ちます。
それでいてまさ子と片桐の中を
とことん疑い始めます。
「君が何をしても自由」
「僕は嫉妬などしない」といいながら、
彼の感情は
激しい嫉妬心で占められていくのです。
その一方で、
「僕」は恵子に対しても
独占欲を持つのです。
恵子が同僚二人と相次いで関係を持つと、
そこでも嫉妬をあらわにします。
「僕」の失敗②
考え方が先進的に見えるが、
実はそうではない
契約結婚を持ち出したのは「僕」ですが、
別居結婚はまさ子の提案です。
3年後に別れる可能性があるならば、
最初から同居は断る。
至極最もです。
でも「僕」が想定していたのは、
妻が自宅に同居し、
そこでそれぞれの自由を謳歌した
結婚生活を送るというものでした。
男性は自由を満喫できるでしょうが、
姑と同居する中で、
女性が自由に過ごすことなど
考えられません。
「僕」の考え方は
先進的に見えるのですが、
極めて幼稚な面を持ち合わせています。
「僕」の失敗③
「こだわらない」といいながら、
一番「こだわる」
「僕」は母親に対しても
自由に恋愛することを勧めます。
しかしその相手はなんと
職場でそりの合わない上司・
渡辺でした。
「僕」の母に対する態度は硬化します。
「僕は別れてもらいたいんだ」
「なにもお前に、指図を
されることは無いと思うがね」
「別れないって言うのかい」
「別れませんよ」
「そんなにあいつが好きなのかい」
「好きだよ。死ぬほどね。」
どちらが親でどちらが子の台詞か
わかりません。
戦後急速に芽生えた
新しい結婚観・新しい恋愛観。
それが一般化するであろう
未来社会に対して、
失敗の事例を提示し、
警鐘を鳴らしたようにも思えます。
同時に、思想信条の新しさではなく、
単に「僕」の未熟さが招いた「失敗」を
描こうとしたようにも思えます。
石川の狙いはどちらだったのか、
私には判別がつきません。
それはともかくとして
現実社会の結婚観・恋愛観は、
本作品執筆当時の石川の
想像を超えた段階まで
多様化してしまいました。
結婚にこだわらない事実婚、
同居を前提としない別居結婚、
夫婦別姓、同性結婚等、
違和感がなくなりつつあります。
それは社会全体が
成熟しつつあるのだと、
前向きに捉えるべきでしょう。
※先日、
1970年のノーベル文学賞の選考で、
この石川達三が伊藤整とともに
候補者として
名前が挙がっていたという
ニュースを聞きました。
これをきっかけに石川の再評価の
気運が高まることを期待します。
(2021.5.25)