あの頃、若者はこんなにも幸せに生きていたのです
「婦人靴」(石坂洋次郎)
(「百年文庫027 店」)ポプラ社

二十一歳となった
町の靴屋の徒弟・又吉は、
雑誌「若人の友」の投書欄に
文通申し込みの手紙を送る。
ハイヒールの製作が
得意と書いたが、それは
見栄を張った嘘であった。
やがて近くの町の女性・
美代子から一通の手紙が届くが
又吉は…。
「手紙」すら書いたことのない
今の若い人は、
「文通」というコミュニケーション手段を
知っているでしょうか。
ましてや雑誌の投書欄の
文通希望コーナーを使っての
申し込みという習慣が、
昭和の時代にあったことを。
メール・LINE・SNS等で
見知らぬ人間とも瞬時に繋がる
現代にあっては、
この青年・又吉の胸のときめきは
理解できないかも知れません。
そもそも又吉は中卒ですぐ徒弟となり、
靴屋の屋根裏に住み込んだのですから、
異性との出会いなど
あるはずがありません。
かつては周囲に交際可能な
異性がいない場合、
「文通」が唯一かつ最大の
交際開始に至る手段だったのです。
「若人の友」は今でいう芸能雑誌です。
その投書欄に
掲載してもらうのですから、
自然と自分を
飾ってしまうことになります。
男物の靴でさえ満足に
つくらせてもらえないにもかかわらず、
婦人靴の製作が得意と書いてしまう、
その気持ちのなんと初々しいこと。
当然の成り行きとして、
又吉と美代子は
実際に会おうということになり、
健全な交際が始まります。
そして、
美代子の人柄に魅せられた又吉は、
意を決して彼女に贈る
ハイヒールの製作に取りかかります。
親方でさえもつくったことのない
ハイヒールです。
木型を借り、写真を集め、
店が終わってから夜遅くまで
丹精込めてつくりあげ、
完成した赤いハイヒール。
何ともいじらしいではありませんか。
そのハイヒールを
美代子にプレゼントするのですが、
なぜかその後、
彼女からの連絡が途絶え…。
ここから先は
書かないことにしましょう。
いえいえ、
破綻したわけではありません。
明るく爽やかな感動を迎えます。
又吉は上背こそ高いものの
不器用でおっとり者。
美代子は背が低くおまけに太っている。
決して美男美女の物語ではありません。
でも、読み終えたとき、
何ともいえない心地よさを感じました。
本作品は、
この国がまだ豊かになる前の
片田舎の物語なのです。
貧しくモノも情報もなかった時代です。
でも、若者はこんなにも
幸せに生きていたのです。
「世の中が便利になるにつれて
この国の失ったもの」が、
見えてくるような作品です。
ぜひ、ご一読を。
※石坂洋次郎の本も、
書店では見かけることが
なくなりました。
私の学生時代は
書店の文庫本コーナーに
たくさん並んでいた
記憶があるのですが。
当時、刺激の強い文学を
求めていた私にとって、
石坂洋次郎は物足りなく感じ、
読むことは
ほとんどありませんでした。
なんともったいないことを
していたことか。
これから古書を少しずつ
あたっていきたいと思います。
(2021.6.3)
