「モモ」(エンデ)

時間泥棒たちの存在を、今なら実感として理解できる

「モモ」(エンデ/大島かおり訳)
 岩波書店

友人の話に耳を傾け、
その人に自信を取り戻させる
不思議な力を持つ少女・モモ。
しかし街の人々は、
時間泥棒たちによって
時間を盗まれ始めていた。
次第に余裕がなくなる大人たち。
時間泥棒たちはついに
モモに接触する。
モモは…。

ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる、
今ではだれもが知っている
児童文学の傑作です。
私の手元にある本は、
1993年7月発行ですでに第48刷。
2021年の現在では
どれだ版を重ねたことでしょうか。
紙面全体が黄ばんでしまった本書を
四半世紀ぶりに読み返し、
いろいろなことを考えてしまいました。

1993年当時、
教職勤務5年目であった私は、
この本を読み、
あくせく働くことに
疑問を感じながらも、
自らの生き方に重ねようとは
考えていませんでした。
それからの数年間、
毎日数時間のサービス残業に加えて
土日の無給業務をこなし、
一人前の社会人になった気でいました。

「時間をケチケチすることで、
 ほんとうはぜんぜんべつのなにかを
 ケチケチしているということには、
 だれひとり
 気がついていないようでした」

あのときの私は、
本書に描かれている大人たちと
まったく変わるところが
なかったのでしょう。
何かに追い立てられるように
時間を見つけては働き、
限りある時間を失っていることに
気づくことすらなかったのです。
時間泥棒たちの存在は、
本作品の中の架空の存在ではなく、
私たちの身のまわりに
しっかり実在していたのだと、
そして彼らは息を潜めて忍び寄り、
私たちからせっせと
時間を詐取していたのだと、
今なら実感として理解できます。

「じぶんたちの生活が
 日ごとにまずしくなり、
 日ごとに画一的になり、
 日ごとに冷たくなっていることを、
 だれひとり
 認めようとはしませんでした」

本書が
ドイツで発刊されたのは1973年。
20年も前に
エンデが警告していたシグナルを、
20代の私はまったく受け止めることが
できなかったのです。
私だけでなく、
社会全体がそうだったのでしょう。
「24時間戦えますか」という
キャッチコピーがTVから
職業人すべてにあまねく浸透したのは、
確かその時代だったと記憶しています。

結婚し、子どもが生まれ、
その子どもも成人してしまった今、
ようやく本書の言葉が
理解できるようになりました。
それは私が人生の折り返し地点を過ぎ、
残りの時間を逆算的に
意識するようになったからです。

令和の時代の子どもたちには、
そのような過ちを
して欲しくありません。
子どもたちに広く読み継がれるべき
児童書だと考えます。

(2021.6.15)

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

※ミヒャエル・エンデの本はいかがですか。

※ドイツ児童文学から

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