「庭」(山本文緒)

寂しくても大声で寂しいと言えない男の寂しさ

「庭」(山本文緒)
(「日本文学100年の名作第9巻」)
 新潮文庫

「日本文学100年の名作第9巻」新潮文庫

母親が急逝し、
家に残されたのは「私」と、
無骨な父と、
母が愛した「庭」だった。
父と二人の生活が
板につき始めたある日、
母宛の封書が届く。
それは母が楽しみにしていた、
イギリスへの
ガーデニング講座ツアーの
申込書だった…。

大切な人を失う。
それは人生において
避けることのできないことです。
だから小説の世界においては、
幾多も描かれているテーマです。
本作品も
大切な人を失った家族の物語ですが、
淡々と語られる中で、
登場人物が実に立体感を持って
描かれています。
それも主人公である「私」よりも父親が。
不器用な父親が、
何とも愛おしく
書き表されているのです。
不器用さとは、
「愛情豊かなれどもその表現に乏しい」と
いうことなのです。
そうした父親の姿を追っていくと、
わずか数頁の掌編の中に、
注目すべき場面がたくさんあることに
気づかされます。

一つは、家を売り払って
それぞれマンションを買おうと
思案する場面です。
家と庭をもてあましていたのも
あるのでしょうが、
娘との二人暮らしに決まり悪さを感じ、
早く結婚することをそれとなく
娘に勧めているかのようです。

一つは、ガーデニング講座ツアーに
申し込む場面です。
おそらくこれを切り出すのさえ
相当な勇気が必要だったはずです。
それをさりげなく
自然に振る舞っています。
娘から突っ込まれても
曲げませんでした。
ここに父親の、妻に対する深い愛情が
伏線として隠されてあるのです。

一つは、旅行後、ガーデニングに
興味を示し始めた場面です。
それも娘に「隠れるようにして」
庭いじりを始めたところが
いじらしくもあります。

そして最後の場面で頂点を迎えます。
英国のホームステイ先から、
父親が毎晩子どものように
大声で泣いていたことを
「私」が知らされる場面です。
ここでようやく
娘が主役に躍り出るのです。
父と自分の失ったものの大きさ、
そしてそれ以上に
父親の喪失感の大きさ、
夫婦の愛情の強さを、
娘である「私」が
肌で感じている場面なのです。

男は寂しい。
いつでも寂しい。
大切なものを失えば、
もっともっと寂しくなる。
寂しくても大声で寂しいと言えないから
余計に寂しくなる。
そんな男の寂しさが、
通奏低音のように全編に漂っています。

でも、本作品は終末に救いがあります。
「リコリスの球根買ってきたから、
 植えるの手伝え」
「…リコリスって?」
「彼岸花だよ。
 お前もこの家に住むつもりなら、
 少しは花のこと勉強しろ」

爽やかな余韻が残ります。

※私はまだ山本文緒の作品を
 多くは読んでいません。
 本作品はアンソロジーの中の
 一篇ですが、私はこの一作で
 山本文緒を好きになりました。
 もっと読んでみたいと思う
 作家の一人です。

〔本書収録作品一覧〕
1994|塩山再訪 辻原登
1995|梅の蕾 吉村昭
1996|ラブ・レター 浅田次郎
1997|年賀状 林真理子
1997|望潮 村田喜代子
1997|初天神 津村節子
1997|さやさや 川上弘美
1998|ホーム・パーティー 新津きよみ
1999|セッちゃん 重松清
1999|アイロンのある風景 村上春樹
2000|田所さん 吉本ばなな
2000| 山本文緒
2001|一角獣 小池真理子
2001|清水夫妻 江國香織
2003|ピラニア 堀江敏幸
2003|散り花 乙川優三郎

(2021.6.27)

For commercial use, some photos need attention.によるPixabayからの画像

【山本文緒の本はいかがですか】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA