何とも見事に権力者の孤独を描ききっています
「忠直卿行状記」(菊池寛)
(「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」)
新潮文庫
「忠直卿行状記」(菊池寛)
(「マスク」)文春文庫
大坂の陣で
武功を収めた忠直卿。
彼は家中の若武士と槍を合わせ、
剣を交え、
散々に打ち負かすことに依って
自分の誇りを養う
日々の糧としていた。
ある日、家来二人が
自分の剣術の力量について
噂しているのを聞き、
忠直の誇りは…。
その噂とは、
「以前ほど、勝ちをお譲り致すのに、
骨が折れなくなったわ」。
自分の誇りが、ことごとく
偽りの土台の上に立っていたことに
彼は気付くのです。そして、
「自分と家来との間には、
膜がかかっている。
その膜の向こうでは、
人間が人間らしく
本当に交際ている。
自分一人、膜の此方に、
取り残されている」。
それが忠直の苦悩となるのです。
周囲の誰しもが自分を褒めちぎる。
真剣勝負でも命を賭して勝ちを譲る。
それがこの時代の
主従関係だったのですから当然です。
「自分の本当の力を知りたい」という
忠直の願いは、
決して叶わない道理なのです。
そしてしまいには自分が
人間扱いされていないことに
鬱憤をつのらせます。
ここから忠直の御乱行が始まるのです。
槍術仕合で真槍勝負を行い、
噂をしていた家臣二人を手討ちにする。
老家老と碁を打って勝っても
癇癪を起こす。
凶作の折に年貢米の軽減を願い出た
家老の嘆願も一蹴。
ついには家臣の娘や妻をも
城内に拉致監禁、
放埒三昧を繰り返すのです。
何とも見事に
権力者の孤独を描ききっています。
忠直卿はただの殿様ではありません。
家筋は名家の中の名家です。
なんと言っても
家康の実の孫なのですから。
だから家臣から別格視されるのも
当然なのです。
しかし、別格視されることは
厄介者扱いされること以上に
痛切な虚無感を
感じるということなのでしょう。
一般人には理解し得ない心情を
巧みに表現し尽くしています。
松平忠直は実在の人物です。
資料を読むかぎり、
日本史上最悪の暴君であったことは
確かなようです。
その史実を用いて、
歴史を忠実に再現するのではなく、
読み手の心の琴線に触れるように
計算して自由に小説化する。
菊池寛の真骨頂です。
現代に生きていれば、
さぞかし売れっ子の
TVドラマの脚本ライターとして
活躍していたのではないでしょうか。
まあ、文藝春秋の創刊で、
それ以上の成功を収めているのですが。
純文学愛好家、時代劇ファン、
どちらにもお薦めできる
作品だと思います。
※昨年末刊行された「マスク
~スペイン風邪をめぐる小説集」
(文春文庫)にも
収録されているのですが、
本作品がスペイン風邪と
どう関係があるのか、
まったくわかりません。
(2021.7.16)
【青空文庫】
「忠直卿行状記」(菊池寛)
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