「菊池の創作した忠直」なのか「太宰の解釈する忠直」なのか
「水仙」(太宰治)
(「きりぎりす」)新潮文庫
親しく交際している草田氏が
「僕」をたずねて
妻の静子の行方を
捜しているという。
草田は静子に洋画を習わせたが、
出入りするものが寄って集って
静子の絵を褒めちぎった結果、
「あたしは天才だ」と口走って
家出したのだという…。
昨日紹介した菊池寛の「忠直卿行状記」。
それを下敷きにして
太宰治が書いた短編小説が本作品です。
冒頭で太宰は「忠直卿行状記」に、
鋭く切り込んでいます。
「殿様は、本当に剣術の
素晴らしい名人だったのでは
あるまいか。家来たちも、
わざと負けていたのではなくて、
本当に殿様の腕前には、
かなわなかったのではあるまいか。
庭園の私語も、家来たちの
卑劣な負け惜しみに
すぎなかったのではあるまいか。」
私は穿ち過ぎと考えます。
それを匂わす部分は
「行状記」にはありません。
「行状記」が史実に忠実なら、
そのような分析も成り立つのですが、
菊池の創作である以上、
そのような意図は
考えられないと思うのです。
さて、本作品の、
その後の物語は以下の通りです。
静子は「忠直」に当たるわけです。
「静子夫人は、その後、
赤坂のアパートに起居して、
はじめは神妙に、中泉画伯の
アトリエに通っていたが、
やがてその老画伯をも軽蔑して、
絵の勉強は、ほとんどせず、
画伯のアトリエの若い研究生たちを
自分のアパートに呼び集めて、
その研究生たちのお世辞に酔って、
毎晩、有頂天の
馬鹿騒ぎをしていた」のですから。
ここで問題となるのは、静子は
「菊池の創作した忠直」なのか
「太宰の解釈する忠直」なのかと
いうことです。
その鍵を握るのは、
静子の才能の有無だと思います。
物語の終末で、
「僕」は静子の残した唯一の絵画を
破り捨てます。
おそらくは「僕」は静子の絵画に
尋常ならざるものを見たのでしょう。
「水仙の絵は、断じて、
つまらない絵ではなかった。
美事だった。」
やはり静子は「太宰の解釈する忠直」
つまり、
「本当に才能を持った人間」だったと
いうことでしょう。
しかしそれを静子自身が
信じることができなかったのです。
忠直卿の乱行の果てにあったのは、
隠居の後の心の平安でした。
静子の馬鹿騒ぎの果てにあったのは、
自殺でした。
両作品とも、
何ともやりきれない結末です。
(2021.7.17)
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