「惜別」(太宰治)

太宰は、いたって真面目だったのではないか

「惜別」(太宰治)(「惜別」)新潮文庫

自分一人と思っていた
松島遊覧の船中にはもう一人、
同じ仙台医専の
制服の学生がいた。
船が岸に着くやいなや、
逃げるように島の山中へと
歩を進めた「私」だったが、
偶然船内の学友と
鉢合わせしてしまう。
彼は後の魯迅であった…。

戦時中に書き上げた
太宰治の異色作であり、
太宰好きの方からは概ね不評であり、
したがって話題になることの
あまりない作品です。
そもそも本作品は発表直後から
知識人たちの不興を買ったようです。
なぜなら本作品は
国策小説として書かれた経緯
(昭和18年、内閣情報局からの
「大東亜共同宣言の小説化」の
委嘱を受けての執筆開始)を
持つからです。

しかし本作品を読む限り、
戦争に加担したとは言い切れません。
国の施策と
太宰の小説の題材および主題が
きわめて近いものだったと
考えるべきではないかと思われます。

さて、本作品は
仙台医専在学中の若き魯迅との交流を、
一老医師が回顧するという内容ですが、
ここでも太宰自身が
魯迅の中にしっかりと現れています。
「他の人がみんな熱狂して
 拍手なんかしている場合、
 それと一緒に拍手するのが、
 おもはゆいような
 気持になるのです」
「僕は、まるでもう
 道化役者のようですね。
 もうこれで、道化役者は退場です」

こうした「太宰が顔を出す」のは、
本作品では終末部分に集中しています。
前半部では、
魯迅は魯迅らしい性格設定であり、
むしろ語り手の「私」の方が
怠学傾向が強く、
「太宰らしさ」を受け持っています。

おそらく太宰は魯迅に対する
リスペクトの念を
十分に持っていたのでしょう。
破綻のないきっちりした作品構成から
考えるに、
綿密な下調べを行った上での
執筆と考えられます。
そしてその上で
魯迅に自分を重ね合わせ、
魯迅の口を借りて
自身の本音をいくつか
織り交ぜたのだと考えられます。

当局による規制の厳しくなった
太平洋戦争期、作家たちは概ね
次の三つに分かれました。
①自ら筆を折り、耐え忍ぶ。
②軍国主義に乗り、迎合する。
③比較的検閲の緩やかな
 単行本出版の方法を探る。

太宰の選択は③であり、
昭和16年「新ハムレット」(文藝春秋社)、
17年「正義と微笑」(錦城出版社)、
18年「右大臣実朝」(錦城出版社)、
19年「津軽」(小山書店)、
そして本作品「惜別」(朝日新聞社)と、
立て続けに5本もの書き下ろし
長編作品を発表しているのです。

①を選んだ作家たちのような、
戦争終結による自由な執筆活動再開を
待つ意思は、
太宰には感じられません。
太宰はいつでも自分の考えを
発表し続けなければ
窒息してしまう
体質だったのでしょう。
ましてや文芸誌を次から次へと
廃刊に追い込んだ当局が、
「書け」といっているのですから、
これ幸いとばかりに
自分の書きたいものを
十全に書き切ったと考えられます。

「太宰が顔を出す」後半部よりも、
前半部の方が読み応えがあります。
本作品(の前半部)を読むと、
太宰は一般的に定着している
「自堕落」「ひねくれ」
「道化者」などではなく、
いたって真面目だったのではないかと
推察できます。
そうでなければこのような
緻密な構成の作品を書き上げることなど
できなかったと思うのです。

他の作品とは毛色の異なる
長編作品です。
太宰をより深く理解しようとする
あなたにお薦めします。

created by Rinker
新潮社
¥693 (2024/10/06 06:52:21時点 Amazon調べ-詳細)

※本作品の理解のためには
 魯迅「藤野先生」を
 読む必要がありそうです。

created by Rinker
¥792 (2024/10/06 06:52:22時点 Amazon調べ-詳細)

(2021.7.31)

Ulrike LeoneによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「惜別」(太宰治)

【今日のさらにお薦め3作品】
①安部公房の戦争もの
 「終わりし道の標べに」(安部公房)

②SF作家の戦争もの
 「戦争はなかった」(小松左京)

③戦争ものノンフィクション
 「綾瀬はるか 「戦争」を聞く」

【関連記事:太宰作品】

※太宰を読んでみませんか。

created by Rinker
¥374 (2024/10/06 06:52:23時点 Amazon調べ-詳細)
created by Rinker
新潮社
¥572 (2024/10/05 12:55:45時点 Amazon調べ-詳細)
created by Rinker
¥649 (2024/10/06 06:52:24時点 Amazon調べ-詳細)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA