犯罪小説、いや恐怖小説、衝撃的です。
「風来温泉」(吉田修一)
(「日本文学100年の名作第10巻」)
新潮文庫
一人で那須温泉を訪れた恭介は、
同じ一人客の女性・さゆりと
親しくなる。
恭介は
営業成績トップの保険外交員、
さゆりは
化粧品会社の経営者だった。
一緒に食事を楽しんでいる間、
恭介は
妻・真知子とのことを思い出す。
恭介は妻を…。
「パーク・ライフ」で芥川賞を受賞した
吉田修一の短篇作品です。
研ぎ澄まされた現代的感覚で綴られた
「パーク・ライフ」しか
読んだことがないため、
本作品が如何なるジャンルのものか、
最後までわかりませんでした。
さゆりとの成り行き(現在)の中に
妻とのやりとり(過去)が
挟み込まれた構成であり、
不倫小説なのだろうと
思っていましたが、何と…
「真知子の髪を掴み、
何度も背後の壁に、
その頭を打ちつけた
手の感触が戻ってくる」
…犯罪小説でした。
いや、恐怖小説といった方が
いいのかもしれません。
衝撃的です。
恭介は保険外交員として
トップの営業成績を収め、
給料にもそれが反映されています。
いわば「勝ち組」なのでしょう。
しかしそれを無意識のうちに
自ら卑下していることが、
彼の台詞や心理描写から読み取れます。
「この仕事をやるようになってから、
だんだん、かかってくる
電話の数が少なくなってきた」
「結局、幸せであるというのは、
こうやって毎月毎月、
何かに勝ち続けていることなのでは
ないかと思う」。
ありがちな男の悲哀と
言えなくもありません。
その悲哀の自覚ゆえに
妻の言葉に逆上して我を忘れ、
暴挙に及ぶのです。
つまり「犯罪小説」。
しかし本作品はそれだけでは
言い表せないのです。
幸せになるために
仕事をしていたはずが、
いつしか仕事自体が目的化してしまう。
これも男にはありがちです。
しかし最後まで読み進めたところで
読み手はある事実に気づき、
ぞっとすることになります。
恭介は、妻を殺した
その脚で訪れた那須温泉で、
無意識に営業活動を行っているのです。
自首することも忘れ、
逃亡することも忘れ、
本来すでに
意味をなさなくなったはずの「仕事」に、
それも無意識に取り組んでいるのです。
これこそが本当の「恐怖」であり、
だからこそ本作品は
「恐怖小説」というべきなのです。
もしかしたら
自分もそうなのではないか?
妻が最近自分の仕事に
理解を示さなくなったが、
すれ違いがすでに起きていて、
自分は恭介がたどった道を
歩みはじめているのではないか?
そんな恐ろしさが
心を締め付けてくるようです。
じわじわとたたみかけるような描出、
平行線のように思われた現在と過去が
終末で見事に交わる構成、
最後にすべてを
ひっくり返すかのような仕掛け、
読み手に我がことのように思わせる
語り口、
すべてにおいて衝撃的です。
吉田修一、
これまでスルーしてきたのですが、
無視し続けるわけには
いかなくなりました。
本作品は
連作短編集「初恋温泉」の一短篇。
まずはそこから
読んでみたいと思います。
(2021.8.8)
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