「読書と日本人」(津野海太郎)

それでも人は本を読む

「読書と日本人」(津野海太郎)
 岩波新書

日本人は本を
どのように読んできたのか?
本書本文一行目にある
「本はひとりで黙って読む。
 自発的に、
 たいていは自分の部屋で」

以外の読み方など
想像できなかった私にとっては
衝撃的でした。
本書は、そうした「本の読み方」を含めて、
日本人が本とどう向き合ってきたのか、
平安時代から現代までを
俯瞰して綴られた
「日本読書史」となっているのです。

かつてはひとりが音読し、
仲間と読みあっていた
時代があったことや、
文明開化を待たずして
江戸末期には読書が一般人にも
広く浸透していたことなど、
新発見が多く楽しめました。
しかし私が注目したいのは、
「Ⅱ読書の黄金時代」と銘打たれた
本書後半部です。

電子書籍の登場によって
紙媒体の本の衰退が始まったと
認識していたのですが、
いわゆる「本離れ」は1970年代から
すでに始まっていたことを
筆者は述べています。
「米国から日本に帰ってきて、
 一番驚いたのは、電車の中で
 大学生やサラリーマンが、
 恥ずかしげもなく
 マンガを読んでいることだった」

本書に引用されている、
朝日新聞のアメリカ特派員だった
松山幸雄のエッセイ(1977年)の
一節です。

確かに私が大学生であった
1980年代半ばは、
身のまわりに本を読んでいる人間が
かなり少なかったと記憶しています。
恥ずかしながら私も
小説こそ読みましたが、
学生の本分たる
教育学や自然科学の専門書は
購入しても必要な箇所以外
ほとんど読んでいませんでした。
そうした「本離れ」「読書離れ」が
70年代から始まっていたとすれば、
すでに半世紀が
経過していることになるのです。

筆者は、その事実を踏まえ、
いたずらに嘆くのでもなく、
諦めるのでもなく、
「それでも人は本を読む」と
締めくくっています。
「なげいたり
 腹を立てているだけではだめ。
 未来へすすむには、
 そのままの継続への願望だけでなく
 思いきった切断が必要」
として、
「読書の在り方」の再構築の
可能性を示唆しています。

エンターテインメントとしての読書は、
かなり早い段階でマンガ、映画、TVに
置き換わりながらさらに
ゲーム、ネット等へと変遷しています。
情報収集の手段としての読書、
これもネットへと移行しつつあります。
では、「読書」を構成する要素のうち、
他のものに置き換えることの
できないものは何か?
それを突き詰めていくことが
大切ではないかと考えた次第です。
それが本書「後書き」で
筆者が触れている
「新しい読書の習慣があらためて
 ゆっくり醸成されてゆく」
ことに
繋がってくるのでしょう。
読書を大切に考えているあなたに
ぜひ読んで欲しい一冊です。

(2021.8.9)

PexelsによるPixabayからの画像

【今日のさらにお薦め3作品】
①海外の怖いお話
 「怪談」(ハーン)

②海外の怖いお話第二弾
 「月明かりの道」
 (ビアス/小川高義訳)

③海外の怖いお話第三弾
 「信号手」(ディケンズ)

【関連記事:読書に関わる新書】

※新書を読んでみませんか

※電子書籍リーダーはいかがですか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA