「朝顔」(伊集院静)

根底には温かなものがしっかりと流れている

「朝顔」(伊集院静)
(「日本文学100年の名作第10巻」)
 新潮文庫

二人の娘を嫁がせた。
妻が先に逝った。
七十歳をこえて
軽い脳梗塞を患った。以来、
耳の奥に絶えず奇妙な音がする。
一人になった龍三郎は、
ある晩、耳の奥で
いつもとは異なる音を聞く。
彼は自分の過去を確かめるための
旅に出る…。

若いときには
自分の未来には無限の時間が
広がっているような気がしていました。
ところが四十を越え、
人生の折り返し地点を
過ぎたあたりから、
これまでの時間とこの先の残り時間を
相対的に意識するようになりました。
おそらくさらに生きて
人生の黄昏に立ったとき、
残りわずかな時間よりも、
すでに過ぎ去った膨大な時間の方に
意識が向いていくのではないか?
本作品を読み、
そんなことを考えてしまいました。

本作品には、
人生の終末期に差し掛かった
主人公・龍三郎が、
自分の過去を断片的に思い出していく
過程が描かれています。

①弟とともに祖母の大切にしていた
 朝顔の花を摘み取り、
 悪戯をしたこと。
 そして母ミオが
 祖母から追い出されたこと。
②妻が二人の娘に打ち明けた話
 ―父親(龍三郎)は愛情が深いが
 それをうまく表現できない
 人間であること。
③大学受験前に祖母が亡くなり、
 仕送りが止まったこと。そして
 住み込みの仕事を得たこと。
④少年の頃、空襲で家族を失い、
 さまよっていたとき、
 女に拾われ、息子になったこと。
 それが母親ミオだったこと。
⑤ミオが旧家の放蕩息子をつかまえ、
 自分も家族と父親を得たこと。
⑥裏山で見つけた不発弾を
 奉公人に引き抜かせようとしたら
 爆発してしまったこと。
⑦祖母は自らの死期をさとり、
 そのため自分に
 「家に戻るな」と諭したこと。

読み手はそれらを自分の頭の中で
時系列に並べる作業を、
無意識のうちに行うことになります。
それによって見えてくるのは、
不幸が重なりながらも、
周囲の人間の温かさに支えられて
生きてきた龍三郎の人生です。

現実の部分だけを読み繋ぐと、
そこにあるのは寂しさと侘しさです。
龍三郎のつぶやく一言が印象的です。
「そうか、
 こんなふうに独りになるのか」

しかし、
それでいながら全体を読み通すと、
物語の根底には温かなものが
しっかりと流れていることに
気づかされます。

家族を失い一人になったとき、
孤独に押しつぶされるのか、それとも
美しい過去とともに生きていけるのか。
年をとらなければ
わからないことなのかもしれません。
短篇でありながらも、
長編を読み終えたような
充足感を感じます。
伊集院静の鮮烈な一篇、
いかがでしょうか。

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Gosia K.によるPixabayからの画像

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