昭和の香りをふんだんに湛えて甦った作品
「あの道この道」(吉屋信子)
文春文庫

白百合を抱えていたしのぶは、
自動車の運転手から
声をかけられる。
お嬢様がそれを欲しているから
渡せというのだ。
車に乗っていたのは、
村にある別荘の住人の
一家だった。
令嬢の名は千鶴子。
しのぶと千鶴子の二人は
かつて…。
吉屋信子を知っていますか。
1920年代から1970年代前半にかけて
活躍した日本の小説家です。
「花物語」をはじめとする
一連の少女小説で人気を博し、
戦前戦後の少女たちから絶
大な支持を得ていた作家です。
1934年に発表された本作品も、
二人の少女が主役であり、
吉屋の「少女小説」の代表作の一つです。
【主要登場人物】
水島しのぶ
…貧しい家の娘。
思いやりのある優しい性格。
水島宗吉
…しのぶの弟。腕白な少年。
水島静
…しのぶ・宗吉の母。
夫の死後、女手一つで二人を育てる。
大丸千鶴子
…資産家・大丸家令嬢。
他人を見下している。
大丸慶子
…先妻。娘を産んですぐ亡くなる。
大丸則子
…後妻。子どもを分け隔てなく育てる。
新太郎
…父親の遺志を継ぎ、温泉を掘る少年。
本作品の味わいどころ①
乳児入れ替わりという運命の悪戯
物語の発端は、乳児の入れ替わりです。
漁村の別荘で慶子は出産後に死亡、
同じ日に出産した静に、
乳児が預けられるのです。
ところが夫の過失で大丸家の娘に
火傷を負わせたため、
夫のするがままに、
わが娘と入れ替えることによって
取り繕ったのです。
したがって本来資産家の娘として
育つはずだった子どもが、
貧しい漁師の娘・
しのぶとして育てられ、
静の産んだ娘は大丸千鶴子として
何不自由なく育てられ、
高慢な少女となったのです。
身分の隔たりのある二組の娘が
入れ替わって育てられる。
ここから多彩なドラマが
生み出せそうです。
実際、本作品のこの部分を下敷きにして
TVドラマ「乳姉妹」(1985年)、
「冬の輪舞」(2005年)が
制作されています。
本作品の味わいどころ②
すべてが丸く収まる見事な筋書き
13年間それぞれが家族として
疑いなく過ごしてきたのですから、
今さら元には戻せないはずです。
しかし、しのぶの母が病に倒れ、
しのぶの女学校行きも立ち消えになる
段階まできてしまいました。
そこからの筋書きが見事です。
すべてが丸く収まります。
最後には温泉も湧き出て、
新太郎や村人たちも救われます。
八方すべて丸く収まる
日本人好みの大団円となっています。
本作品の味わいどころ③
人としての在り方が描かれている
ところどころに人としての在り方を
考えさせる場面が織り込まれています。
貧しくても凜としたしのぶの姿、
罪を背負いながらも
健気に生きる静の生き方、
実子も継子も分け隔てせずに
育てようという則子夫人の愛情、
新太郎少年の一途さ、
飄々として人の道を語る
村の和尚の人柄、
登場人物が一人一人丹念に書き表され、
物語が立体感を得ています。
「純文学」とは言い難くても
超一級の「大衆文学」として
読み継がれるべき要素の多い
作品であり作家です。
しかし「少女小説」というカテゴリに
長らく押し込められていたせいか、
その文芸性が不当に低く見積もられ、
現在では忘れ去られようとしています。
残念なことです。
それでも本書(文庫本)は
「冬の輪舞」放映を受けて
2005年に急遽復刊されています。
しかも1948年刊行当時の挿画を
表紙として、昭和の香りを
ふんだんに湛えて甦っています。
残念ながら本書も早々と
絶版状態となりましたが、
こうした過去の名作を掘り起こす
気運が高まることを
期待したいと思います。
※当サイトも、
そうした埋もれている文学に
再び照明が当てられる
存在になればと思っています。
(2021.8.30)

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