何ともいえない運命の悪戯
「壁」(サルトル/伊吹武彦訳)
(「集英社ギャラリー世界の文学9」)
集英社
捕らえられた「私」・イビエタと
トム、ファンの三人は、
地下牢に押し込まれ、
明日の刑の執行を待つ。
牢には観察のために
ベルギー人医師が派遣される。
刑執行直前、
「私」は同志グリスの居場所を
教えるよう求められ、
出任せを言う…。
舞台はスペイン内戦。
三人は人民戦線に荷担していたため
軍に捕らえられたのです。
軍としてはこの三人よりも
グリスの存在を問題視していました。
そのため死刑宣告後、
一晩の猶予を与えて「私」に動揺を与え、
「私」と取引をしようとしたのです。
明日には死ぬと決まっている人間は
どのような行動に出るか。
作者サルトルは捕らえられた人間の
外面と内面を描写し、
人間の存在について
言及しているのです。
外面について。
「私」は寒い中であるにもかかわらず、
大汗をかき、
またそれを医師に観察されることにより
屈辱感と怒りを覚えるのです。
トムは茫然自失となり、ぶつぶつと
いつまでもつぶやき続けます。
自分の失禁していることにも気付かず。
少年ファンは
医師の手を噛みつこうとするのです。
観察者としての医師の存在が、
明日には命を失う者と
明日もまた命を継続できる者との差異を
浮き彫りにしています。
内面について。
「私」は、同志・グリスに対する友情も
恋人・コンチァへの思いも
なくしてしまいます。
スペインへの祖国愛、
無政府主義思想への情熱も
失ってしまいます。
生きる意味を
完全に喪失しているのです。
それにも関わらず、
「私はここに生きている。
グリスを渡せばこの身は助かる。
だのにそれを
私は拒絶しているのだ。
私はそれをむしろ
こっけいだと思った。」
さて、口から出任せを言った「私」は、
意外にも刑を免除されます。
出任せで言ったその場所に、偶然にも
グリスが隠れていたからなのです。
人の運命とは
わからないということなのでしょう。
死ぬ覚悟ができている、
でもそれはグリスの身代わりという
意識ではないのです。
彼はグリスの命も自分の命も
同様に価値がないと覚っています。
意地から出鱈目を言ったまでに
過ぎません。
その結果、グリスが命を落とし、
自分が助かっている。
何ともいえない運命の悪戯でしょう。
実存主義という難しい思想概念は
私にはよくわかりません。
しかし「涙が出るほど笑って笑って
笑いこけた」「私」の空しさは
理解できそうな気がします。
(2021.9.3)
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