それぞれの少年の創る特異な世界
「潤一郎ラビリンスⅤ」(谷崎潤一郎)
中公文庫

池田屋の小僧で
16歳になる「己」は、
このような境遇にあることを
非常な不幸として感じている。
立身出世の能力のある自分が
選ぶべき職業は
「藝術家」であると
信じているのだ。
「己」はそれを
店のお嬢さんに話すが
一笑に付される…。
「小僧の夢」
谷崎潤一郎の書く作品といえば、
「痴人の愛」「鍵」といった
濃密なエロティシズムであったり、
「春琴抄」「盲目物語」といった
倒錯した女性崇拝であったり、
「刺青」「秘密」といった
怪しげな性癖であったり、
子どもの入り込む要素のない
作品ばかりのような気がしていました。
ところがありました。
少年が主人公の作品、
それらを集めたのが
本書「少年の王国」です。
千手丸と瑠璃光丸は、
物心つく以前に
比叡山に預けられ、
仏門の修行に励んでいた。
年頃になった千手丸は、
菩薩の容姿を持つという
女人の煩悩に苦しみ、
ついに山を下りる決心をする。
半年後、千手丸の手紙が
瑠璃光丸に届くが…。
「二人の稚児」
少年が主人公とはいえ、
少年少女向け作品などではありません。
谷崎ですから。
それぞれの作品の主人公(少年)の創る
特異な世界が何ともいえない味わいを
生み出しています。
「小僧の夢」では、小僧・「己」は、
谷崎のアバターのような役回りで、
作品中で自然主義文学批判や
不道徳な行動を繰り返します。
「二人の稚児」では、
性に目覚める二人の少年の姿を通して、
谷崎は自身の女性観を開陳しています。
貧しい教師・貝島のクラスへ、
沼倉という生徒が転校してくる。
彼は瞬く間に級友を掌握、
学級全員が彼の従僕となる。
やがて彼は
学級内の身分を細かく制定し、
さらに仲間内だけの紙幣をつくり、
学級は彼の王国と化してゆく…。
「小さな王国」
「小さな王国」は
本書収録の他の四篇と比べると
きわめて異質です。
小学校の一学級に
ファシズムの台頭を暗喩的に再現し、
集団心理の恐ろしさを
あぶり出しています。
谷崎の書いた多くの作品の中でも
異色中の異色です。
月夜の街道を歩いていた「私」は
家灯りを見つける。
そこで炊事をしていた女性を、
「私」は自分の母親に違いないと
確信するるが、
それは人違いであった。
なおも街道を歩き続ける
「私」の前に、
今度は一人の若い女性が
浮かび上がる…。
「母を恋ふる記」
「母を恋ふる記」は、
本書の主題からすると
やや反則気味です。
最後の最後に「少年」ではないことが
明かされるからです。
しかし幻想的な舞台の上で
「少年」がもっとも少年らしく
振る舞っているのが本作品です。
兄は義姉の従妹である
瑞恵と結婚する。
しかし芳雄は以前から
兄と瑞恵が親しげに
していることを目撃していた。
兄が注射した直後、
白い液を吐いて死んだ義姉。
芳雄の胸中に、
兄が義姉を殺したのではという
疑いが膨らんでくる…。
「或る少年の怯れ」
最後の一篇は心理サスペンスであり、
同じ「潤一郎ラビリンス」でも
「Ⅷ犯罪小説集」に収録した方が
引き立つ作品です。
少年だからこその
「か弱い精神が見せた幻」なのか、
それとも少年だからこその
「現実が与えた真の恐怖」だったのか、
どちらともとれる
緊張感に満ちた世界です。
執筆期間の最も長い作家の一人である
谷崎潤一郎は、
多種多様なテーマで
数多くの作品を編み上げました。
そのどれもが違う顔を持ちながらも、
そのどれもが谷崎の体臭を
しっかりと身に纏っています。
本書の作品群も例外ではありません。
本書をじっくりと味わい、
大谷崎の世界を満喫してください。
(2021.9.6)

【今日のさらにお薦め3作品】
①お天気SF小説
「雲の王」(川端裕人)
②ビアスの恐怖小説
「月明かりの道」(ビアス)
③教師になりませんか
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