人間にとってあまりにもありがちな現象を
「出口」(尾辻克彦)
(「日本文学100年の名作第8巻」)
新潮文庫
小学生のとき、
学校で「大」をするのは
「女」になることと同じだった。
学校ではできず
家までこらえていた。
そのようなことを考えながら
家路を急いでいた「私」は、
下腹部に違和感を感じていた。
家までの道のりは
まだ半分ちょっと…。
これ以上、先を書かなくても
先を読めてしまうあたりが
本作品の特徴です。
でも…、この先の描写がすごいのです。
この小説の魅力は、人間にとって
あまりにもありがちな現象を、
比類ない表現力で描いたところに
あるのです。
本作品における比類なき描写力①
子どもの頃の暗い思い出
子どもの頃の思い出を的確に
余すところなく表現し切っています。
今ではそのようなことは
ないと思われるのですが、
かつては男子たるもの、
学校で「大」をしてはいけない時代が
長々と続いていたのです。
私の時代ですら、小学生の頃、
男の子が「大」に入るのは
勇気がいることでした。
本作品における比類なき描写力②
緊急事態を擬人化
表題「出口」が表すとおり、便通を
スタジアムから出口へ殺到する
人々の動きになぞらえているところは
秀逸です。
これがまた何とも愉快なのです。
本作品における比類なき描写力③
粗相の壮絶な実況中継
実際に粗相をしてしまった後の様子に、
目に見えるような迫力があります。
一つ、二つ、三つと出てきた様子。
それらが衣服を通って
裾と靴の隙間からこぼれ落ちる様子。
そしてそれらが
道路に置き去りにされる様子。
まるでラジオ放送の
現場からの実況中継を
聞いているような錯覚に囚われます。
さらにはその状態で帰宅したときに
必要となる処置まで
懇切丁寧に描出しています。
私は幸い、ここまでスクランブル状態に
なったことがないのですが、
「限界を超えるとこうなるのか」と
妙に納得できた次第です。
本作品における比類なき描写力④
翌日の現物もしっかり記述
ここで終わらずに、翌日、
自分の落としたものを
しっかり確認している描写に至っては
もはや何も言うことがありません。
いやあ、ここまで書きますか。
一体なんなんだ、この小説は?
ジャンル分けをするとすれば…、
当てはまるものがあるはずもなく、
あえてジャンルをつくるとすれば…、
「脱糞小説」とでもなるのでしょうか。
こんなすばらしい想像力(?)、
観察力、描写力のある作家を
今まで見逃していたなんて。
調べてみたら、芥川賞作家でした。
いやはや、さすが芥川賞作家。
着眼点がすごすぎます。
こんな小説、こんな作家を
発見できるから
アンソロジーはやめられないのです。
早速、他の小説を
探してみることにします。
さて、今日は思いきり
格調の低い作品紹介となりましたが、
取り上げずにはいられませんでした。
ご容赦ください。
もちろん本作品は
子どもなどには薦められません。
分別のある大人が、
こっそり楽しむ小説です。
えっ、品がなくて楽しめない…、
すみません。
〔本書収録作品一覧〕
1984|極楽まくらおとし図 深沢七郎
1984|美しい夏 佐藤泰志
1985|半日の放浪 高井有一
1986|薄情くじら 田辺聖子
1987|慶安御前試合 隆慶一郎
1989|力道山の弟 宮本輝
1989|出口 尾辻克彦
1990|掌のなかの海 開高健
1990|ひよこの眼 山田詠美
1991|白いメリーさん 中島らも
1992|鮨 阿川弘之
1993|夏草 大城立裕
1993|神無月 宮部みゆき
1993|ものがたり 北村薫
(2021.9.11)
【今日のさらにお薦め3作品】
①教科書に載った作品
「子どもたち」(長谷川四郎)
②ノスタルジックに浸る一冊
「あんちゃん、おやすみ」
(佐伯一麦)
③乱歩はいかが
「少年探偵団」(江戸川乱歩)
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