「親友交歓」(太宰治)

やはり随筆ではなく「私小説」なのでしょう

「親友交歓」(太宰治)
(「ヴィヨンの妻」)新潮文庫

東京で罹災し、
帰郷していた「私」は、
一人の男の訪問を受ける。
男は「私」の「親友」であり
平田と名乗ったが、
「私」にはその男の記憶は
ほとんどなかった。
平田は「私」の部屋に上がり込み、
酒を要求し、傍若無人な
振る舞いをはじめる…。

太宰治の作品の中で、
私がもっとも好きなものの一つが
本作品です。
一読すると身のまわりに起きたことを
綴った随筆のようにも感じられます。

この平田と名乗る男、
クラス会の相談に来たといいながら、
酒を要求し(現代と違い、終戦直後の
この時期、酒は貴重品だった)、
大枚はたいて買ったウイスキーを、
いつもはちびちび飲んでいる
本人の目の前で、
「がぶがぶ鯨飲」していくのです。
5、6時間居座ったあげく、
手土産として未開封の一瓶まで
要求するあたり、
図々しいを通り越して、
もはや押し込み強盗といっても
いいくらい「好いところが
一つもみじんも無」い男なのです。

この平田に対する愚痴話のような
体裁をとっているのですが、でも、
やはり本作品は随筆ではなく
「私小説」なのでしょう。
本作品には面白く読ませるための
仕掛けが随所に施されています。

一つは、淡々と事実を連ねながらも、
平田に対する悪評価は
一切書いていないことです。
「好いところが
一つもみじんも無」いとしただけで、
彼を非難したり見下したりは
まったくしていません。
「人間の新しいタイプ」を
「読者に提供」使用というスタンスで
一貫しています。
愚痴のように見えながらも決して
下品な愚痴話になっていないところが
本作品の魅力なのです。

もう一つは、その平田に対して、
「私」が自分の弱さを
上手に隠し通そうとしていることです。
彼の横柄な言動に対して
唯々諾々と応対するだけの
「私」なのですが、
それは反論したり渋ったりすることで
自分の経済的な余裕のなさを
彼に気取られまいとしての
ことでしょう。
必死に体面を保とうとしている
「私」の様子は滑稽です。

そしてもう一つは、読み手に対して、
「私」が自分の弱さを
上手にさらけ出していることです。
平田に対して隠し続けた
「自分の弱さ」が、読み手には
すべてつまびらかとなるよう、
作者は巧みにその心情を
開陳して見せています。

おそらく確かにこのような事実が
存在したのでしょうが、
太宰はそれに巧妙なる創作を添付し、
私小説として完成させたのです。
結果として、
平田という特異な人間を紹介しつつ、
「私」の弱さを
極限まで露出させることで、
一つのエンターテインメントとして
昇華させているのです。

酒に関わる面白い小説をお探しの、
大人のあなたにお薦めします。
サントリーの角瓶など
ちびりちびりと嘗めながら
いかがでしょうか。

(2021.9.15)

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