まさに「快走」です
「快走」(岡本かの子)
(「岡本かの子全集第5巻」)ちくま文庫

花嫁修業を
強いられている道子は、
夕日を眺めているうち、
女学校時代の
陸上選手としての感覚が甦る。
以来、銭湯に行くと称しては、
夜の多摩川堤防でのランニングを
日課としていた。
それはいつしか
母親の知るところとなり…。
若い女性がランニングを楽しむという、
現代では平凡すぎて小説のネタには
ならないであろう設定です。
しかし、書かれたのは昭和13年。
国家総動員法が施行され、
戦争の影が日本を覆い始めた時期です。
女性がおおっぴらに
自分の趣味を楽しむことが許されない
時代に入っていました。
また、家族制度が当時は強く、
嫁入り前の娘であれば
成人していても好き勝手な振る舞いは
できない状況だったでしょう。
そうした中、道子は家族に内緒で
毎晩ランニングに興じるのです。
アンダーシャツとパンツの上に
着物を着て。
想像してみると素敵です。
若い娘が川縁でやおら着物を脱ぎ捨て、
ランニング姿で走り出す。
「ほんとうに溌剌と
活きている感じがする。
女学校にいた頃は
これほど感じなかったのに。
毎日窮屈な仕事に
圧えつけられて暮していると、
こんな駈足ぐらいでも
こうまで活きている感じが
珍らしく感じられるものか。」
まさに「快走」です。
でも本作品、
さらに面白いのは道子の両親です。
1時間半もかかる銭湯行きに
疑問を呈し、一緒に銭湯へ行ったり、
息子にようすを探らせたり。
ついには道子宛の手紙を勝手に開封し、
夜のランニングを
知ることとなるのです。
父母二人で
ようすを見に出かけるのですが、
娘を見つけると、
ついつい二人はその姿を追って
駆けだしてしまいます。
「あなたったら、まるで
青年のように走るんですもの」
「俺達は案外まだ若いんだ」
「おほほほほほほほほほほ」
「あはははははははははは」
「二人は娘のことも忘れて、
声を立てて笑い合った。」
何ともほほえましい風景です。
道子からだけでなく、
母親からも父親からも
時代が抱えた閉塞感を打ち破ろうとする
エネルギーが感じられます。
特に二人の笑い声からは、
小気味よささえ感じられます。
まさに「快走」です。
「一瞬の風になれ」(佐藤多佳子)
「風が強く吹いている」(三浦しをん)など
現代作家の作品には
走ることを題材にしたものが
いくつか見られますが、
岡本かの子の本作品は、
その先駆けかも知れません。
スポーツの秋に、どうぞ。
※以前、大学のセンター試験に
丸ごと出題されたとか。
(2021.9.21)

【青空文庫】
「快走」(岡本かの子)
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