短篇作品は、その編まれる意図によって表情を変える
「少将滋幹の母 他三篇」(谷崎潤一郎)
中公文庫

老齢の大納言・国経は、
その美しい妻・北の方を、
若き権力者で甥の左大臣・時平に
強奪される。
残された一子・滋幹は、
宮中深く囲われてしまった母を
恋い慕う。
幼い滋幹は、
母の情人がしたためた
恋文を腕に隠し、
母のもとへと通う…。
「少将滋幹の母」
谷崎潤一郎には「母恋もの」と呼ばれる
作品群があります。本書は
そうした「母恋もの」作品の中から、
長編作品である「少将滋幹の母」に
短篇三作品を加えて
編み上げられたものです。
中公文庫ではこれまで
「少将滋幹の母」が単独で一冊、そして
「ハッサン・カンの妖術」は
「潤一郎ラビリンスⅥ異国奇談」に、
「二人の稚児」「母を恋ふる記」は
「潤一郎ラビリンスⅤ少年の王国」に
収録されていました。
「少将滋幹の母」はともかく、
短篇三作品については、再読すると
印象が異なって見えてきました。
図書館で
調べものをしていた私は、
インド人・ミスラと懇意になる。
ある日、ミスラの家を
訪問した「私」は、
彼の語る「魔術」に、
自らもかかってみたいと
申し出る。
「私」の魂は肉体を離れ、
涅槃へと入る。
そこで出会ったものは…。
「ハッサン・カンの妖術」
「ハッサン・カンの妖術」は、
「潤一郎ラビリンスⅥ」のテーマが
「異国奇談」ということもあり、
海外を舞台とした
エキゾチックな雰囲気を、
登場人物の重なる芥川龍之介の
「魔術」との関連で捉えていました。
しかし、
このような収録作品とともに読むと、
最後の場面の意味が
より強く感じられます。
ミスラ氏の魔法により、
天へと昇っていった「私」の魂が、
一羽の鳩となった母親と
邂逅を果たす場面は、
まさしく母を恋する心が
純粋な形で洗われていると
感じられます。
千手丸と瑠璃光丸は、
物心つく以前に
比叡山に預けられ、
仏門の修行に励んでいた。
年頃になった千手丸は、
菩薩の容姿を持つという
女人の煩悩に苦しみ、
ついに山を下りる決心をする。
半年後、千手丸の手紙が
瑠璃光丸に届くが…。
「二人の稚児」
「少年の王国」に収録されていた二篇も
同様です。
「二人の稚児」は、
少年の性への目覚めを
主題として強く感じたのですが、
本書で読み返せば、
最終場面は「ハッサン・カンの妖術」と
酷似していることに気づかされます。
ここでの一羽の白鳥は「理想的な女性」の
化身と考えられますが、
それは同時に母親を
表したものなのでしょう。
月夜の街道を歩いていた「私」は
家灯りを見つける。
そこで炊事をしていた女性を、
「私」は自分の母親に違いないと
確信するるが、
それは人違いであった。
なおも街道を歩き続ける
「私」の前に、
今度は一人の若い女性が
浮かび上がる…。
「母を恋ふる記」
最後の作品は表題どおり
「母を恋ふる」気持ちをまっすぐに
表現したものとなっています。
「私」が出会う二人の女性は、
ともに谷崎自身の母親像が
モチーフとなっているのでしょう。
しかもそれは
現実のものでないだけでなく、
若い時分の
記憶の中にあるものでもなく、
「私」(=谷崎自身)の理想とする
女性像のことなのだと考えられます。
どんな意図のもとで
一冊の本に編まれたか。
短篇作品はそれによって、
その表情を変えてきます。
収録作品をすべて
所有しているにもかかわらず
(特に「少将滋幹の母」については
角川文庫版も持っている)、
本書を購入したのは、
そんな理由からです。
(2021.10.5)

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「少将滋幹の母」(谷崎潤一郎)
「二人の稚児」(谷崎潤一郎)
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