怪奇小説、猟奇小説ではない面白さ
「ジキルとハイド」
(スティーブンソン/田口俊樹訳)
新潮文庫

「ジーキル博士とハイド氏」
(スティーブンスン/村上博基訳)
光文社古典新訳文庫

ロンドンの高名な紳士・
ジキル博士の家に
出入りするようになった
ハイドは、人々にいいようのない
嫌悪感を与える男だった。
ハイドは少女を
踏みつけにしただけでなく、
殺人事件まで引き起こす。
調査を開始した
弁護士・アタスンは…。
「二重人格」の代名詞とまでなった
「ジキルとハイド」。
結末が十分にわかってしまうため、
今となっては読もうと思わない方も
多いのではないでしょうか。
最後の「ラニヨン博士の手記」および
「ヘンリー・ジキルが語る事件の全容」まで
読み進めて初めて
事実が明かされるという
作者・スティーブンスンの
苦心の構成も、
現代となっては意味のないものに
なってしまっているからです。
しかし私は
すでに何度も再読しています。
何が面白いのか?
一つは、
人間の心理を描くことに重点を置き、
単なる怪奇小説に堕していない点です。
人間は善と悪の
二面性があるということ、
普段は善が悪を押さえていること、
それ故にそれがなくなると
悪が暴走するということ、
それらを作者は丹念に
描いていることに気づかされます。
ハイドがジキルよりも
体が一回り小さいのは、
善の象徴である
分厚い学者の肉体を脱ぎ捨てたからに
ほかなりません。
もう一つは、
そうした悪の権化たるハイドに、
徹底的な暴走をさせず、
かつ残虐な描写を押さえ、
読み手の想像する余地を
巧妙に残してある点です。
猟奇小説の匂いはまったくありません。
具体的な「事件」については
「少女踏み倒しの一件」と
「カルー卿殺害事件」だけなのです。
欲望のタガが外れたのであれば、
もっと悪逆の限りを
尽くしても良さそうなものです。
そういう意味ではハイドは
いたって「紳士的」ですらあります。
その一方で、
ジキル博士が「悪行のひどさに
愕然とする」のですから、
記述されている以外に
かなりの蛮行を行ったと考えられます。
怪奇小説でも猟奇小説でもなく、
文学作品として昇華させたのは
スティーブンスンの
見事な手腕といえるでしょう。
まだまだ読み取るべきものを
数多く内包している作品だと感じます。
まだ読んでいない貴方、
ぜひ読んでください。
損はしないと思います。
※小学生の頃、
学校図書館で児童用の図書を
読んだのがはじまりでした。
その後、学生時代に
新潮文庫旧版を購入したのですが、
なんと裏表紙の作品紹介に
「実は彼は薬によって姿を変えた
ジーキル博士その人だった」と
衝撃のネタバレ文が
掲載されていました。
旧版はすでに処分し、
光文社古典新訳文庫版と
新潮文庫新版を購入した次第です。
(2021.10.7)

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