安部公房の「虚構」世界の第一歩
「虚構」(安部公房)
(「夢の逃亡」)新潮文庫
とうとう君に遭えた。
そして遭っている。
しかし僕たちはまだろくに
あいさつもしていないようだ。
むろん夫婦の間では、
そんな形式なんか
どうでもいいことなのだろう。
そうと充分承知でいながら
僕にはやはり
完全に納得することが…。
安部公房の初期作品です。
粗筋を紹介しようにも、
やはり筋書きらしきものがなく、
冒頭の一節を切り取りました。
「僕」の告白文としての作品なのですが、
夫婦間の「愛」が「虚構」であると
述べているものです。
「僕」は五年間にわたる戦地生活から
引き上げてきた男です。
戦争によって夫婦生活は
中断を余儀なくされたのでしょう。
そして二人は深く愛し合っていたことが
匂わされています。
ところがその「中断」が終わり、
再び夫婦として生活しはじめたところ、
すべてがうまくいかなくなった、という
ことなのでしょう。
安部公房の描く「愛」①
「嘘」と「ごまかし」
五年間の中断が、夫婦に深い溝を
刻んだということなのでしょうか。
「僕」は「朝から晩まで
嘘ばかりついている」、
そして「君」は
「朝から晩までごまかしてばかりいる」。
意思疎通が充分にできないのです。
お互いに相手に対する思いが
ずれてしまい、重なり合うことがない
状態なのでしょう。
安部公房の描く「愛」②
育ちすぎ持て余した「愛」
なぜずれてしまったのか?
五年間の「中断」により、
お互いを思いすぎたことが原因であると
「僕」は考えているのです。
「僕らはお互いに相手を
心の中だけではぐくみすぎて、
形に耐えられなくなった愛を、
もはや此の距離では
支えきれなくなった」。
それ故に「僕」は
孤独を求めようとしているのです。
しかしそれ以降に書かれてあることが
理解できません。
「僕」とT氏の会談は
何を言いたいのか?
妻である「君」とHなる男性との関係が
仄めかされているが
それは事実なのか?
「君の盗んだもと」とは
何を表しているのか?
皆目見当が付きません。
そして幕切れへと向かいます。
安部公房の描く「愛」③
「愛」とは滅ぼしあうこと
最後は「君」への非難のような
嘆きとなっています。
そして二人の関係が崩れたことを認め、
それ自体を
「愛」と呼んでいるかのようです。
「愛とは滅ぼしあうことなのだ」。
どうやら五年間の「中断」の中で、
妻に心変わりが起き、
それでも生きて帰ってきたために
夫婦生活を続けているという
偽りの「愛」を描いたもののようにも
思えるのですが、
定かではありません。
安部公房は本作品に、
ストレートに「虚構」という表題を
与えました。
しかしその後に安部が描いたもの
ほぼすべてが「虚構」であることを
考えると、
本作品は安部の作家としての方向性が
決定づけられた作品ともいえます。
安部公房の「虚構」世界の第一歩、
いかがでしょうか。
※本書「夢の逃亡」収録作品一覧
「牧草」
「異端者の告発」
「名もなき夜のために」
「虚構」
「薄明の彷徨」
「夢の逃亡」
「唖むすめ」
(2021.11.16)
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