恋愛は成就しなくても
「鯉魚」(岡本かの子)
(「老妓抄」)新潮文庫
京都大堰川沿いにある
臨川寺の青年・昭は、
五月のある日、
川辺に倒れている
少女・早百合姫を助ける。
戦乱の時節ゆえに
寺に取りなすこともできず、
昭は姫を屋形船の中に
匿い続ける。
二人の間にはいつしか自然と
恋が芽生え始め…。
無理もありません。
昭青年は18歳、早百合姫は17歳。
もっとも多感な時期、
青春真っ只中なのです。
そして姫は戦乱を
命からがら落ち延びたのですから、
ほかに頼れる人間がいないのです。
でも、昭は寺の学僧、
姫と表だって
交際するわけにはいきません。
姫は昭の気持ちを試すため、昼日中に
川で行水したいと言い出します。
押しとどめる昭ですが、
姫の切なげな懇願に負けてしまいます。
「青春は今も昔も変わりません。
二人は今の青年男女が
野天のプールで泳ぐように、
満身に陽を浴びながら
水沫を跳ね飛ばして
他愛もなく遊んでいます。」
当然、他の僧に見つかり、
昭青年はとらえられます。
そこで住職である三要は、
「昭公が一緒に居たのは
確とおなごかな。
鯉魚をおなごと
見誤ったのではないかな」。
そして、昭と大衆との法戦によって
裁きを決する旨を伝えるのです。
「法戦」とは、
修行僧の代表が大衆(他の修行僧)と
問答を行い、優劣を競うものです。
現代で言えば、
一対多勢のディベート合戦の
ようなものでしょうか。
さて、法戦はどうなったか?
昭はすべての問いに
「鯉魚(りぎょ)」と答えます。
まったく問いに答えていないのですが、
「昭青年の意気込みには、
鯉魚と答える一筋の奥に、
男が女一人を全面的に庇って立った
死物狂いの力が籠っています。
大概の野狐禅では
傍へ寄り付けません。
大衆は威圧されて
思わずたじたじとなります。」
仏教について私はよくわかりませんが、
「法戦」は修行僧が
一人前になる儀式でもあります。
昭青年は法戦によって悟りを開き、
落髪して僧となります。
一方の早百合姫は舞の才能を発揮して
白拍子となります。
二人で駆け落ちしても
良さそうなものです。
姫も身を落とす
覚悟があったのでしょうから。
でもそうしないところがいいのです。
昭は姫を守りたい一心で、
ついには悟ってしまいました。
姫は昭が悟ったことで、
自身の生きる道を見つけました。
恋愛は成就しなくても、
お互いにとって最もふさわしい生き方を
見つけることができたのです。
何度も読み返したくなる、
岡本かの子のいいお話です。
(2021.11.26)
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