現実社会には疑似「ロビィ」があふれかえっている
「ロビィ」(アシモフ/小尾芙佐訳)
(「われはロボット」)ハヤカワ文庫

子守ロボット「ロビィ」は
グローリアの唯一の友達だった。
しかし周囲の友達との
交流の乏しい娘の姿を
心配した母親は、
ある日「ロビィ」を製造元へ
返却してしまう。
グローリアは元気をなくし、
塞ぎ込んでしまう。
見かねた父親は…。
アシモフのロボットものは、
もはや古典的SFとして
押しも押されもしない地位を
獲得しています。
海外のSFやミステリを毛嫌い
(というよりも食わず嫌い)していた
私ですが、
それらの面白さに気づき、
本書を読んだ次第です。
長編かと思っていましたが、
異なる年代に書き連ねた
一連の短篇の作品集でした。
どれもこれも新鮮でしたが、
もっとも印象深かったのは
冒頭に収録されている」ロビィ」です。
最後の場面はもちろん
感動を呼ぶものなのですが、
それ以外の部分で、
考えさせられるものが大きいと
感じました。
娘を心配してロビィを取り上げた
母親の姿は、もしかしたら執筆当時は
「娘に対する無理解」として
捉えられたのではないかと
推測できます。
無理やり剥奪する手法は、
確かに批判の余地はあるでしょう。
しかし、娘に対する母親の心配は、
現代ではあまりに的を射すぎています。
2021年になっても、
さすがに人型ロボットは
一般家庭に導入されてはいません。
しかし、それに類するものは
私たちの身のまわりに
数多く登場しています。
スマートフォンがもっともそれに近い
存在でしょうか。
それを他人との通信手段として
活用しているのであれば
まっとうな使用の仕方と考えますが、
ネットから垂れ流される情報に
依存したり、
ゲームの世界にのめり込んだり、
それらに搭載されている人工知能との
対話に充足感を感じ、
周囲の生身の人間との交流に
不具合を生じているとしたら、
その姿は本作品のグローリアと
重なります。
本作品のグローリアは、15歳の段階で
ロビィへの依存を終えます
(それは法律の変更という
外部要因によるものではありますが)。
しかし現実世界では、15歳頃に
どっぷりとバーチャルな世界に
浸りきった子どもたちは、
なかなかその依存を断ち切れずに
症状を悪化させている事例が
多数報告されています。
アシモフが本作品を発表した1940年は、
人間同士が醜い争いを
引き起こしていた真っ最中でしたので、
ロボットを救いの存在として
位置づけることが
容易だったのでしょう。
しかしそれから80年。
現実社会には疑似「ロビィ」が
あふれかえり、
人々に「安らぎ」とも「弊害」とも
言い切れないものを
供与し続けています。
文学作品はあくまでも
当時の社会情勢と照らし合わせて
読み込むべきなのですが、
ことSF作品は、現代と比較し、
そのズレを考えるのも
一つの味わい方ではないかと
思っています。
それはともかく、あまりの面白さに、
全400頁を超える本書を、
一気に読んでしまいました。
残りの作品についても
後日書きたいと思います。
※Amazonを探したら、
コミュニティロボットとして
「ロビィ」ならぬ「ロミィ」が
ありました。
(2021.12.2)

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