さらにもう一つは死の影が漂っていること
「点鬼簿」(芥川龍之介)
(「芥川龍之介全集6」)ちくま文庫
「点鬼簿」(芥川龍之介)
(「河童・玄鶴山房」)角川文庫
「僕」が「点鬼簿」に加えたのは、
母・姉・父の三人だった。
母は狂人だった。
一度も親しみを
感じたことがない。
姉は「僕」が生まれる前に
夭折した。
父の葬式はどんなものだったか
覚えていない。
三人のうちでは
誰が幸福だったろう…。
「点鬼簿」とは死者の姓名を書き記した
帳面のことをいいます。
その点鬼簿に肉親三人の名前を
記したことを綴った芥川晩年の作品、
わずか数頁の小品ですが、
なぜか心に棘のように引っかかります。
理由の一つは、芥川がこの三名に対し、
肉親としての愛情を
あまり感じていないことです。
それも母については
それが最も強く表れているのです。
「僕の母は狂人だった。
僕は一度も僕の母に
母らしい親しみを
感じたことはない。」
狂っていたとはいえ、
実の母に対しての
この冷たい突き放し方は
いったいどうしたことでしょう。
「きょう、ママンが死んだ。」の
カミュ「異邦人」を彷彿とさせる
冷たさです。この、
肉親が狂人であることを恥じる気持ちと
自身への遺伝に対する恐れが、
後日の「河童」へと
昇華したものと考えられます。
もう一つは、
芥川の初期の作品とは
まったく様式が異なることです。
これまでは社会や他人に対しての
批判や皮肉のこもった作品が
ほとんどだったのですが、
本作品は攻撃の矛先を
自分自身に向けたかのようです。
そしてこれまでは短いながらも
奇抜な筋書きがあったのですが、
本作品は身のまわりのことを
綴っただけです。
つまり、
本作品は完全に私小説なのです。
この頃から芥川の作風は
私小説へと変化しているのです。
さらにもう一つは、作品全体に
死の影が漂っていることです。
点鬼簿そして墓参りという題材自体が
もちろん「死」に関わることなのですから
当然ですが、
問題は結びに配置した
内藤丈艸の句とその後に続く一行です。
「かげろふや塚より外に住むばかり
僕は実際この時ほど、
こう云う丈艸の心もちが
押し迫って来るのを
感じたことはなかった」。
句の意味は、
「昆虫のカゲロウは成虫になると
寿命は短く、墓に入っていなくても、
入っているのと同じことだ」という
意味だそうです。
それが「押し迫ってくるのを
感じ」たのですから、
自身の身の上にも死を予感していたと
思われるのです。
周囲に対する自裁の予告。
そのように感じられてなりません。
現代の私たちは、
芥川の一生と作品の、
それぞれを俯瞰できるので
そう感じてしまうだけなのかも
しれませんが。
年の瀬に、ふといろいろなことを
考えてしまいました。
(2021.12.6)
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