「メアリ・スチュークリ」(エインズワース)

読み手が学び取るべきは、「選択」

「メアリ・スチュークリ」
(エインズワース/佐藤良明訳)
(「百年文庫036 賭」)ポプラ社

21歳の「わたし」は、
メアリ・スチュークリと出会い、
一目で恋に落ちる。
結婚の承諾も得て、
万事が順調に進み、いよいよ
明日が婚礼という日の夕刻、
「わたし」は一人の婦人・
イライザと関わったことから、
その運命が暗転していく…。

「わたし」の運命は
どう暗転していくのか?
ケガをしたイライザを
介抱しているところを、
婚約者メアリの兄に見られた。
激怒した兄が
「わたし」に決闘を申し込む。
決闘の場所に向かおうとしたら、
すでに彼は何者かに殺害されていて、
その嫌疑が「わたし」に向けられている。
イライザが窮地を救い、
「わたし」を匿う。
イライザは「わたし」と
結婚することを要求し、
「わたし」はそれを承諾する。
容疑が晴れて
めでたく自宅へ帰還するものの、
メアリを見たとたん、
離れられずに結婚する。
重婚の罪の意識に耐えられず、
事実を話すとメアリは驚愕し、
やがて衰弱死。
イライザは行方不明。
「わたし」は放浪の生活を
余儀なくされる。

次から次へと不思議な運命が
押し寄せてきたかのような小説です。
さて、イギリスの作家・
エインズワースの書いた本作品は、
何を味わうべき短編か?

ミステリー小説のような
雰囲気を湛えています。
その一方で、メアリの兄が
決闘を申し込んだ直後に殺害されたり、
なぜかイライザがその状況を
いち早く知っていて
司直の手を逃れるように手配するなど、
設定があまりに
不自然すぎるように感じられます。

二つの恋に悩む青年を
描いているのですが、
メアリに対してもイライザに対しても
ほとんど一目惚れであり、
「わたし」に対して感情移入することなど
到底できそうにありません。

理解が難しい作品なのですが、
本作品から読み手が学び取るべきは、
「選択」ということなのでしょう。
「わたし」が冒頭で述懐しているとおり、
「わたし」は
運命に玩ばれているのではなく、
降りかかった不幸は自らが
選択した結果なのだということです。
「善と悪とを分かち選ぶ自由は
 もとよりこの身にあり、
 行動の分かれ道において
 いずれを進むかの選択権も
 恒に与えられていた。」

その「選択」を誤っただけなのです。

私たちは運命に
流されているように見えても、
実際には「選択」する権利を
与えられていることを
忘れないようにしなければなりません。
自分の身に訪れるのが
幸福であれ不幸であれ、
それは「自分自身がどこかで何かを
選択した結果」なのであり、
その責任の多くは自分にあるのです。

作者・エインズワース
18歳の時に書き上げた本作品、
綻びも多いのですが、
読み手の意識に
強く迫ってくるものを持っています。
こういう作品が私は好きです。

(2021.12.7)

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