「啞むすめ」(安部公房)

読み手の安易な理解を拒絶する

「啞むすめ」(安部公房)
(「夢の逃亡」)新潮文庫

何事かに出遭うと、
それはたちまちつむじ風となって
彼の中をすっと吹き抜け、
あとにぽっかり空洞が残された。
それをせっせと埋めるしぐさが
生活であったのだ。
大男の胃の腑は
想像もつかぬほど大きなもので
あるらしかった…。

安部公房初期の短篇集「夢の逃亡」に
収録されている最後の一篇です。
本作品は描かれている情景こそ
想像できるのですが、
それが何を意味しているのか、
やはり理解の困難な一篇です。
大男が蒔いた種子が人間となり、
その人間たちが生活経験によって
生じさせた「感情」が、
その大男の食料となっているのです。
しかし町には
大男の食糧が不足しはじめ、
大男は啞の少女の恋愛感情を
食らおうとするのです。

本作品の理解の困難な部分①
大男の「食料」が不足したのはなぜ?

大男は人間の心に生じた感情を
刈り取って食すのですが、
だとするとそもそも「大男」とは
何の暗喩なのか?
感情を刈り取る行為や
それを食する行為は何の暗喩なのか?
その段階から今ひとつわかりません。
したがって、
大男が空腹を満たせなくなるのは
人々が感情を生じさせなくなったという
ことなのでしょうが、
ではなぜ町の人間は
感情をあらわにしないのか?
その事象は何を表現しているのか?
何度再読を重ねても
とらえることができません。

本作品の理解の困難な部分②
娘の恋愛感情が不味かったのはなぜ?

少女は言語が
不自由であるにもかかわらず、
自分のできる最大限の行動で、
想いを寄せる少年に
自分の気持ちを伝えようとしました。
しかしそこに生じた「感情」は、
大男を満足させるどころか
「毒になる」ものでした。
それも理解に苦しみます。
最も上等に思えるのですが、
大男にとっては
そうではなかったのです。

それについては最後の一文が曲者です。
「つむじ風の味覚が信ずるに
 たるものだという証拠は、
 まだどこにもない」

安部はいったい何が言いたいのか?

本作品の理解の困難な部分③
啞であることが意味するものは何?

そして最も大きな謎は、
なぜ啞である少女を
選んだのかということです。
「おまえのような、
 片輪の中に芽生えた生活は、
 どうやら俺の胃の腑には
 毒になるらしい」

よもや障碍者差別の意図では
ないのでしょうが、
では何を言いたいのかと考えると、
とんと見当がつきません。

やはり安部公房は、
初期作品の方が難しいと感じます。
それは作者の技能が
未熟だったからなどではなく、
安部の内部から湧き出る
文学的テーマのエネルギー値が大きく、
読み手の安易な理解を
拒絶するからなのでしょう。
時間をおいて
再び挑んでみたいと思います。

「夢の逃亡」収録作品一覧
「牧草」
「異端者の告発」
「名もなき夜のために」
「虚構」
「薄明の彷徨」
「夢の逃亡」
「唖むすめ」

(2021.12.22)

Hans BraxmeierによるPixabayからの画像
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