現代へと置き換えられた能「江口」
「江口の里」(有吉佐和子)
(「日本文学100年の名作第5巻」)
新潮文庫
「江口の里」(有吉佐和子)
(「江口の里」)中公文庫
熱心な信者の多い教会を任された
グノー神父。
朝食もまともに摂れない
忙しい日曜日に
辟易していた彼は、
ミサに参加している和服姿の
美しい婦人・さと子の存在に
心を和ませていた。
しかしさと子が芸者であることが
明らかとなり…。
有吉佐和子の作品は
あまり読んでいないのですが、
作品集「ほむら」の八篇を読むかぎり、
強い生き方をした女性を、
力強く描いている作品を書く作家だと
認識していました。
本作品はドラマチックではありません。
穏やかな中に
深い味わいを感じさせる作品です。
ただし、味わうためには
少しばかり予備知識が必要でした。
表題の「江口の里」についてです。
「江口の里」は、グノー神父に
心の安らぎを与えた女性・坂井さと子の
演じる舞踊の演目です。
それは能の「江口」を
擬えたものなのです。
江口の里を訪れた旅僧一行は、
一夜の宿を借りようとした
西行法師の頼みを断ったという
江口の君(宿場の長の立場)の
逸話を思い出す。
僧は、江口の君の旧跡に立ち、
感慨に耽り、宿を断られた際に
西行が読んだという
「世の中を厭ふまでこそ
難からめ仮の宿りを惜しむ君かな
(困難な出家に比べ、
はるかに容易な一夜の宿さえも
惜しむとは、無情なお方だ)」の歌を
口ずさむ。
それを耳にした女性が、
江口の君の返歌に込められた意味を
語り始める。
それは西行の頼みを断ったのではなく、
娼館ゆえ、
出家している西行の身を考え、
遠慮したのであると。
女は江口の君の幽霊であり、
そして普賢菩薩だった。
本作品もまた、
この能「江口の里」を現代の舞台へと
置き換えたものなのでしょう。
グノー神父は
江口の里を訪れた僧であり、
遊女・坂井さと子は
江口の君の亡霊と
考えることができます。
カトリックの公教要理をやりとりする
二人の姿は、僧と女性の
歌の読み交わしに重なります。
僧が女性の中に
普賢菩薩を見出したように、
グノー神父はさと子に
心のよりどころを得るのです。
同時に二人は、西行と江口の遊女にも
例えることができます。
神父でありながらも
教義に溺れすぎずに
中庸を知るグノーは、
仏道だけでなく歌の道も歩んだ
西行に通じるところがあります。
貴人が出入りする江口は、
おそらくは高級娼館だったと考えられ、
遊女たちもまた歌をたしなむなどの
教養を持っていたといわれています。
さと子も気品があり、
外見からも身につけたものの高さを
感じさせる女性です。
信者たちの苦情や管区長の聴聞にも
動ぜずに毅然と振る舞うグノー神父は、
芯の強さと公正さに満ち溢れています。
また、さと子の凜とした姿も
すがすがしさを感じさせます。
描かれている人物が
鮮烈な個性を持ち、味わい深いのは、
有吉作品の魅力でしょう。
忙しい師走のひとときに、
心が安らぐ一篇をどうぞ。
※「日本文学100年の名作第5巻」
収録作品一覧
1954|突堤にて 梅崎春生
1954|洲崎パラダイス 芝木好子
1957|毛澤西 邱永漢
1957|マクナマス氏行状記 吉田健一
1958|寝台の舟 吉行淳之介
1958|おーい でてこーい 星新一
1958|江口の里 有吉佐和子
1959|その木戸を通って 山本周五郎
1960|百万円煎餅 三島由紀夫
1960|贅沢貧乏 森茉莉
1961|補陀落渡海記 井上靖
1961|幼児狩り 河野多惠子
1962|水 佐多稲子
1962|待っている女 山川方夫
1963|山本孫三郎 長谷川伸
1963|霊柩車 瀬戸内寂聴
(2021.12.25)
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