「夢の逃亡(作品集)」(安部公房)

その傷口から生み出された作品たち

「夢の逃亡(作品集)」(安部公房)
 新潮文庫

「牧草」
「私」が受け取った
「彼」からの手紙には、
自らの手落ちで
妻を死なせてしまった顛末が
綴られていた。
一年前に偶然出会い、
話をしただけの「彼」、
恐ろしいほどの無口な「彼の妻」。
二人の間に一体何が?
「私」はもう一度「彼」に会いに…。

安部公房の初期短篇集「夢の逃亡」を
読み終えました。
それぞれ数回ずつ再読していますので、
本書はかなり
読み込んだことになります。
読み込んでも…
わからないことだらけです。

「異端者の告発」
「僕」は「僕」自身を告発するが、
誰からも相手にされない。
「僕」は自ら殺人を
犯すことによって
世間の注目を集め、
裁判にかけられることを望む。
そして殺害する相手として、
酒場で出会った「厭な男」を選ぶ。
だが、その男の正体は…。

理解のための手がかりは、
巻末の安部自身による「あとがき」です。
本作品はすべて
戦後間もない頃に書かれた作品ですが、
この「あとがき」は1968年に、
執筆当時を振り返って
書かれたものです。
そこにはいくつか
気になる言葉が記されています。

「名もなき夜のために」
夜…消極的に、
単に力を奪い去られたような
疲労ではなくて、
疲れというものが物質のように
筋肉の隙間などに
浸み込んで来るのが
感じられる晩など、
とくに空腹のあまり
体を蝦のように曲げて
必要以上に胃の部分を
圧縮しなければ…。

「この作品集の背景にあるものは、
 まさに飢えた青春
 そのものなのである」。
「飢え」ているからなのでしょうか、
暴力的なものが現れたり、
不条理さが顔を出したりしています。
穏やかさや心地よさが見えません。
腹を空かせて曠野をうろついている
狼のような視点で
捉えた作品ばかりです。

「虚構」
とうとう君に遭えた。
そして遭っている。
しかし僕たちはまだろくに
あいさつもしていないようだ。
むろん夫婦の間では、
そんな形式なんか
どうでもいいことなのだろう。
そうと充分承知でいながら
僕にはやはり
完全に納得することが…。

「私の戦後は、まず死のイメージから
 出発しなければならなかった」。
戦争によって廃墟となった国土から
受けた衝撃が大きかったのでしょう。
多くの作品の舞台は混沌としていて
カオスの状態です。
そしてそこからは
確かに死の匂いがしています。

「薄明の彷徨」
「僕」がたどり着いた
その部屋の中では、
彫刻家の男が
結婚通知を書いていた。
男は自らが創り上げた粘土像と
結婚するのだという。
そしてそのために
自らの命を終えようとしていた。
コーヒーに毒物を垂らして。
「僕」は部屋を出るが…。

「青春がいずれ虚像だとすれば、
 廃墟の青春くらい、
 青春にふさわしい条件はない」。
敗戦が自らの作家生活の出発と
重なったことを踏まえての言葉です。
敗戦の焼け野原は、
安部の心に
いくつもの大きなささくれを創り、
その傷口から生み出された
作品であるかのようです。

「夢の逃亡」
やむを得ぬことであったろう。
彼の衣裳である名前は、
この街との約束も、契約も、
まだとりかわしてはいない。
愛の行為でなんとか
結びあわされた
獣と名前の関係が、
作法にかなった服装として
工場の塀に通用しうるだろうか。
…。

残念ながら、
まったくといっていいくらい、
作品に接近することが
できませんでした。
それぞれの記事にも記したのですが、
時間をおいての再読が
必要なのだと感じます。
読み手の安易な理解を
拒絶する作品群です。
安部と本気で
格闘しなければならないのでしょう。

「啞むすめ」
何事かに出遭うと、
それはたちまちつむじ風となって
彼の中をすっと吹き抜け、
あとにぽっかり空洞が残された。
それをせっせと埋めるしぐさが
生活であったのだ。
大男の胃の腑は
想像もつかぬほど大きなもので
あるらしかった…。

貴重な作品集だと思うのですが、
新潮文庫版は絶版になって
かなりの時間がたちました。
新潮文庫の安部作品の多くが
改版新装幀となり、
背表紙の色が銀色になりましたが、
本書はまだ水色のままのものを
古書で探すしかありません。
来年2023年は没後30年、
再来年2024年は生誕100年の
メモリアルイヤーとなる安部公房です。
箱入りハードカバー全集では
確かに読めるのですが、
文庫本で復刊することを
期待したいと思います。

(2022.1.11)

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

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