新しい世の中で再出発を図るという決意
「晩菊」(林芙美子)
(「晩菊/水仙/白鷺」)講談社文芸文庫
「晩菊」(林芙美子)
(「女体についての八篇 晩菊」)
中公文庫
きんは、
男の初々しさに惹かれていたし、
高尚なものにも思っていた。
理想的な相手を選ぶ事以外に
彼女の興味はない。
きんは、田部をつまらぬ男に
なりさがったものだと思った。
もうこの男とは
幕にすべきだったと
思うのだった…。
林芙美子の代表的短篇「晩菊」。
前回は収録されているアンソロジーの
テーマ「女体」の視点から書きました。
実は本作品、
講談社文芸文庫版
「晩菊/水仙/白鷺」の中の一篇として
読んだときには
また違った顔を見せるのです。
きんがあれだけのアンチエイジングを
施してまで田部との会見に臨んだのは、
かつて美しさを極めていた
女の意地なのでしょう。
「別れたあの時よりも
若やいでいなければならない。
けっして自分の老いを
感じさせては敗北」と
感じていたくらいですから。
そして田部はきんにとって
忘れられない「いい男」だったのです。
男前であり、金離れが良く、
きんと並び映えのする
極上の男だったことが記されています。
「田部からの電話はきんにとっては
思いがけなかったし、
上等の葡萄酒にでも
お眼にかかったような気がした」。
しかし実際に会ってみると…、
金の無心を始めたり、なんとかして
一夜を共にしようとしたりする
浅ましい田部の姿に幻滅するのです。
「よく熾った火鉢の青い炎の上に、
田部の若かりしころの
写真をくべた」。
かつてあれだけ羽振りの良かったのに、
今は零落して
情けない姿をさらしている。
田部のその姿は、
きんの眼にはまさしく
戦後日本の姿に重なったのでしょう。
「この戦争ですべての人間の
心の環境ががらりと変ったのだ」。
田部への決別は、
日本の有り様に見切りを付け、
新しい世の中で
再出発を図るという決意と
一体のものだったのだと考えます。
魅力を失ったものには見切りを付け、
新しい自己の在り方を模索する。
そうしたきんの生き方は、
そのまま作者・林芙美子の
それでもあります。
「文壇に登場したころは「貧乏を
売り物にする素人小説家」、
その次は「たった半年間のパリ滞在を
売り物にする成り上がり小説家」、
そして、日中戦争から
太平洋戦争にかけては「軍国主義を
太鼓と笛で囃し立てた
政府お抱え小説家」など、
いつも批判の的」であったと
井上ひさしが叙述した通り、
「節操のない姿勢」と捉えられることの
多かった林ですが、
それは常に時代の流れを読み、
読者の求めるものに
素早く対応しようとした
柔軟な生き方と
考えるべきなのでしょう。
1948年に本作品を発表し、
戦後日本に見切りを付けた林は、
そのわずか3年後、
この世にも見切りを付けたが如く、
短すぎる生を終えるのでした。
「晩菊/水仙/白鷺」
〔収録作品一覧〕
「晩菊」
「水仙」
「白鷺」
「松葉牡丹」
「牛肉」
「骨」
※本作品はもう一冊、
北九州市立文学館文庫という、
正規の流通ルートには乗らない
マニアックな出版社からの
文庫本にも収録されています。
東京の林芙美子記念館を
訪問した際、購入したものです。
(2022.01.19)
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