「不意に訪れる死」に振り回されながらも
「おおるり」(三浦哲郎)
(「日本文学100年の名作第7巻」)
新潮文庫
何かにつけて同僚・彌太の死を
思い出してしまう消防士の「彼」。
ある日一人の女性が屯所を訪れ、
鳥の啼き声について尋ねてきた。
それは屯所で飼っている
「おおるり」のものだった。
入院患者がその啼き声を
楽しみにしているのだという…。
三浦哲郎については児童文学である
長編小説「ユタとふしぎな仲間たち」を
読んだきりでしたが、
むしろ短篇小説にこそ
この作家の本領が
発揮されているといえるでしょう。
本作品は
味わい深い逸品となっています。
本作品は三つの説に分かれていますが、
一つめの節は
「彌太の死」とそれを振り切れない
「彼」の心が描かれます。
彌太は消防士でありながら、
住宅の一棟を焼いただけの火災で
命を落としたのです。
新建材から発生した
有毒ガスが原因とはいえ、
その死があまりにもあっけなく、
あまりにも不意に襲ってきたことに
「彼」は気持ちの整理が
できていないのです。
二つめの節では、
女性の求めに応じ、
病院まで「おおるり」の声が届くように
工夫を試みる「彼」の姿が描かれます。
「餌に工夫をして
啼き声に艶の出るようにすること」と
「鳥籠を毎日裏の鉄塔の上に上げ、
病院まで聞こえやすくすること」の
二つを女性と約束し、
それを毎日実行するのです。
女性の相談は、
「彼」に彌太の死を忘れさせ、
生きる目的を見出させたかのように
描かれます。
その一月後、
「彼」が留守にしていたとき、
女性は菓子折を持って
屯所を再び訪れます。それが
三つめの節で描かれている場面です。
女性は「おおるり」のお礼にきたのです。
癌で入院していた
夫の死の報告とともに。
彌太が殉職したのも
「不意に訪れた死」であるならば、
女性の夫が亡くなった報せもまた
「不意に訪れた死」なのです。
本作品は、
そうした「不意に訪れた死」を
二度にわたって経験した「彼」の変容が
描かれているのです。
それにしても仕掛けが巧妙です。
第二節で、
「こっそり飼える」ように
「山から捕ってくる」提案をした
「彼」と女性の描写が卓越しています。
「但し来年の春ですよ。」
というと、
そのひとの頬が急に弛んで、
五つも六つも老けた顔になった。
そのままぼんやりしているので、
「なに、一と冬の辛抱ですよ。」と
彼はいった。
すると、そのひとも
「ほんと。一と冬の辛抱ね。」
といって、
顔を力ませるようにして、
やっと笑った。
夫の命が、一冬を超すことどころか
冬を迎えるまで持たないであろうことを
女性は知っていたのでしょう。
そしてその悲しみを普段は
必死になってこらえているのでしょう。
なにげない表面的な描写だけで、
女性の置かれた状況や
その身を切るような辛さが
余すところなく伝わってきて、
心が震えてくるのです。
これこそが短篇小説を読む
醍醐味といえるでしょう。
「裏の軒下で
飼鳥が囀っているのを聞くと、
つい、小鳥たちでさえも
ああして生きているのに
彌太さんは
もうこの世にはいないのだ」
から始まる本作品は、
「彼は白湯を注ぐと、
おおるりがあんなに啼いているのに
――という呟きを
咽の奥へ押し戻すようにしながら、
すこしずつ飲んだ。」で
幕を閉じます。
「不意に訪れる死」に振り回されながらも
それを乗り越えようとする
人間の強さを、ひしと感じさせます。
※「日本文学100年の名作第7巻」
収録作品一覧
1974|五郎八航空 筒井康隆
1974|長崎奉行始末 柴田錬三郎
1975|花の下もと 円地文子
1975|公然の秘密 安部公房
1975|おおるり 三浦哲郎
1975|動物の葬禮 富岡多惠子
1976|小さな橋で 藤沢周平
1977|ポロポロ 田中小実昌
1978|二ノ橋 柳亭 神吉拓郎
1979|唐来参和 井上ひさし
1979|哭 李恢成
1979|善人ハム 色川武大
1979|干魚と漏電 阿刀田高
1981|夫婦の一日 遠藤周作
1981|石の話 黒井千次
1981|鮒 向田邦子
1982|蘭 竹西寛子
(2022.2.17)
【今日のさらにお薦め3作品】
【関連記事:
日本文学100年の名作第7巻】
【三浦哲郎の本はいかがですか】
【こんな本はいかがですか】