「百年文庫028 岸」

対岸から世の中を見たような三作品

「百年文庫028 岸」ポプラ社

「島守 中勘助」
明治四十四年九月二十三日、
ひどい吹きぶりのなかを
島へわたった。
これから「私」の住居となる家は、
ほんの雨つゆしのぎに
なるばかり。
周囲の山やまから
おしよせてくる寒さを、
この都人に防いでくれるほどの
用には立たない…。

ポプラ社百年文庫第28巻読了です。
第28巻テーマ「岸」には、
中勘助寺田寅彦永井荷風という、
明治の名だたる名文家三人の
随筆・私小説が収録されています。
読み応えがありました。

「団栗 寺田寅彦」
身重の妻の病が
治まりつつあるのを見計らって、
「余」は妻を連れて
植物園を訪れる。
妻は「おや、団栗が」と声を出し、
ハンケチいっぱいの
団栗を拾い始める。
今年の二月、
忘れ形見のみつ坊を連れて
「余」が再び植物園を訪れると…。

「まじょりか皿 寺田寅彦」
「風采は余り上らぬ方で、
友達というものは殆どない」
文士の竹村君。
原稿料が入って懐が温かくなり、
暮れを楽に
迎えられそうになった彼は、
かねてより欲しかった
「まじょりか皿」を買う。
愉快であるものの、
腹の底に不安な念が…。

「浅草紙 寺田寅彦」
古紙を漉き返してつくる浅草紙。
それゆえ浅草紙には
様々な紙の模様が寄り集まる。
色紙の片、帯紙、煙草の包紙、
マッチのペーパー、広告等々。
その種々の物品の集合の過程。
「私」はそこから人間の精神界の
製作品に思いを馳せ…。

さて、共通テーマの「岸」、
「島守」は湖の岸辺で
著したものなのですが、
他はまったく水辺に関係ありません。
では「岸」とは何を表しているのか?

「雨瀟瀟 永井荷風」
「わたし」と付き合いのある
ヨウさんは、
実業家であるとともに
艶福家であり、
そして妾を抱えていた。
ヨウさんの用いる
彩牋堂主人という雅号を
知っているのは
「わたし」だけである。
「わたし」は、
久しぶりにヨウさんに
手紙を書く…。

三つの作品に通じているのは
「孤独」です。
「島守」には、「私」以外は
「本陣」という通称で表させる一人しか、
具体的な言動を伴っている人物は
登場しません。
中勘助、「銀の匙」の印象とは裏腹に、
かなり孤独を愛した人間のようです。
「団栗」には、
亡き妻への郷愁が
しみじみと描かれています。
この寺田寅彦、
才には恵まれていたようですが、
妻には恵まれていなかったようです。
そして「雨瀟瀟」にも、
二度妻を迎えるものの破綻し、
以来ひとり暮らしを続けた
荷風の孤独と孤高と枯淡の境地が
見え隠れします。
荷風は寺田と違い、
二人の妻を離縁しています。

どうやら孤独を愛した
(かどうかは別として)三人の、
「対岸から世の中を
見たような作品」という
意味合いでしょうか。
その視線と論旨は
世間一般と一線を画しつつも
決して厭世的ではありません。
あたかも森に隠遁した隠者が
静かにかつ峻烈に
俗世を見渡したような感があります。

世間の煩わしさから
ちょっと抜け出したい気分のときに
お薦めです。
春の夜、少しだけ
孤高な気持ちになってみませんか。

(2022.3.28)

zhugherによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「島守」(中勘助)
「団栗」(寺田寅彦)
「まじょりか皿」(寺田寅彦)
「浅草紙」(寺田寅彦)
「雨瀟瀟」(永井荷風)

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