懊悩する魂の彷徨を描いた三篇
「百年文庫078 贖」ポプラ社

「骨 有島武郎」
とうとう勃凸は
四年を終えないうちに
中学を退学させられた。
学校というものが
彼には理解できなかったのだ。
教室では
飛行機を操縦するまねや、
活動写真の人殺しの
まねばかりしていた。
勃凸にはそんなことが
唯一の興味だった…。
ポプラ社百年文庫、
第78巻のテーマは「贖」。
「贖」とは贖う、贖罪という意味です。
ここには「贖う」ことに関わる
三つの短編が収められています。
「藁草履 島崎藤村」
競馬で大勝負に負けた源吉。
彼はその怒りの矛先を
妻の隅に向け、
重傷を負わせてしまう。
酒場で気を紛らわそうとした
源吉は、酔客から偶然にも
隅の過去の出来事を聞く。
源吉は隅を馬に乗せ、
山を越えようとするが
そのとき…。
「放蕩息子の帰宅 ジッド」
ある富豪に息子がいた。
弟は父に
財産の生前贈与を懇願し、
それを持って家出をする。
放蕩の限りをつくして
財産を失った弟は、数年後、
みすぼらしい格好のまま
家族のもとへと帰ってきた。
父は弟の帰宅を盛大に祝うが、
兄は…。
三篇の登場人物たちを見てみます。
「骨」の勃凸は、いわゆるアウトロー。
でも気持ちの優しい人間です。
だからいつも何かを
「贖っている人間」と言えます。
「藁草履」の源吉は「贖うべき人間」。
妻の隅を死に追いやったのに、
何一つ罪を問われていない、いや、
罪を感じてすらいないのですから。
そしてジッドの放蕩息子は
罪を告白し、懺悔したのですから
「贖った人間」です。
いずれも若く未熟な人間たちなのです。
カバー裏に
「懊悩する魂の彷徨を描いた三篇」と
あるのですが、
まさにその言葉通りです。
程度の差こそあれ、
人間誰しも若かりし時は、
このような煩悶を
経験しているはずです。
さて、この作品を書いた
三人の作家には共通項があります。
その思想にはキリスト教の教義が
深く影を落としているということです。
有島は内村鑑三の影響を受け、
執筆活動をはじめる前に
すでに洗礼を受けています(その割には
数年後に離教するのですが)。
藤村は学生時代に入信しています。
ジッドはキリスト教の思想を背景とした
作品を多数著しています。一方で、
キリスト教的道徳からの解放につながる
内容の作品もあることから、
ローマ教皇庁により
著書が長きにわたり
禁書に指定されていたという
経緯もあります。
やや内容の重い三作品ですが、
文学作品を読んだという
満腹感が感じられました。
さて、私は
いくつ贖うべきことがあるか…、
あまり考えないことにしましょう。
(2022.4.4)

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