「わたしはイザベル」(ウィッテイング)

10代の傷つきやすく繊細な精神

「わたしはイザベル」
(ウィッテイング/井上里訳)
 岩波書店STAMPBOOKS

誕生日プレゼントをもらえない、
「うそつき」と呼ばれる。
イザベルは母親からの愛情を
受けられなかった。
18歳のときに母が死に、
彼女は解き放たれるはずだった。
しかし自立した彼女は、
周囲の人間との関係構築に
苦労していく…。

岩波STAMP-BOOKS、
3冊目を読了しました。
すでに取り上げている
「15の夏を抱きしめて」デ・レーウ
1968年生まれ、
「紙の心」グエッラ
1970年生まれであることを考えると、
本作品の著者ウィッティングは
1918年生まれと、
世代が大きく異なります。
本作品が書かれたのも1979年であり、
「現代」というには
やや時間が過ぎた感があります。
それでも本作品のテーマは
すこぶる「現代的」であり、
しかも10代の傷つきやすく
繊細な精神が瑞々しく描かれてあり、
本シリーズ収録も納得ができます。

筋書きは大きく二つに分かれていて、
前半1/3は主人公イザベルが
8~9歳の出来事が描かれています。
姉には毎年贈られる誕生日プレゼントが
自分には渡されない。
いつも「うそつき」と呼ばれて
信用されない。
何かにつけて辛く当たられる。
そこには娘に対する愛情は
微塵も感じられません。
現代であれば凄惨な実子虐待の報道に
数多く接しているため、
「毒親」の一例と、
すんなり理解できるでしょう。
しかし1980年代であれば、
親子それも特に母娘は
無条件に愛し合うものという観念が
固定化されていたことを考えると
(実際、本書はそうした理由で10年間
出版が見送られた経緯がある)、
本作品は極めて今日的
(当時であれば近未来的)なテーマを
扱っていると言えるのです。

そして後半2/3は、自立する
イザベルの姿が描かれていきます。
彼女の自立は
自身の努力によってではなく、
母親の死という形で
否応なく実現されたものなのです。
しかし彼女は、
肉親から愛される経験の乏しさゆえ、
人とどのように接していくべきか
悩み続けるのです。

他人の言動に傷つき、その痛みを
表面に表さないようにするために
自らさらに傷口を広げてしまう。
他人の言葉が自分を指すのと同様に、
彼女の言葉もまた
他人の心に突き刺さってしまう。
男女の情交を「宗教的儀式」ととらえ、
自分の身体まで傷つけてしまう。
その姿は思春期特有とはいえ、
痛々しすぎます。

そのイザベルの「痛み」こそ、
本作品の肝であり、
読み手が十分に咀嚼して味わうべき
読みどころといえるでしょう。
10代20代の若い読み手が、
本作品から何を感じるか、
興味のあるところです。

さて本作品は、最後にイザベルが
希望を抱きはじめる場面で
閉じられている点に救いがあります。
誰でも過去を乗り越え明るい未来に
歩き始めることができるという
メッセージは、若い読み手への
生き方のエールとなるはずです。

(2022.4.19)

thatsphotographyによるPixabayからの画像
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