私たちの社会はいつの間に不寛容になったのか
「美しい夏」(佐藤泰志)
(「日本文学100年の名作第8巻」)
新潮文庫
光恵は口を利かなかった。
秀雄は喉が渇いた。
軽々しく謝ることはないわよ。
光恵はむしった草を
左手の人差し指に
何重にも巻きつけながらいった。
「あんたが何を苛立っているのか
わからないのよ」。
秀雄にも
うまく説明できなかった…。
粗筋を取り上げるのが困難で、
とりあえず象徴的な台詞の前後を
抜粋してみました。
大筋は「秀雄・光恵の若い夫婦が
仕事を休んで新しい部屋を探しに行く」
一日なのですが、描かれているのは
「やり場のないいらだち」なのです。
それを表現するために、
その一日の朝は、
「緑色のカーテンへの嫌悪感」
「死んだ友人とその老いた飼い犬」
「ゴキブリを喰らう蜘蛛」などが
描写され、
アパート探しでは不動産屋から
露骨に見下された顛末を描き、
そうした一日の流れの何ヶ所かに
「前夜の見知らぬ青年との喧嘩の顛末」が
挿入されているのです。
秀雄自身にもわからない「いらだち」。
それはむしろ客観的に
その状況を見ている読み手には
十分に理解できるものです。
つまり「貧困」とそれによる
「いっこうに見えない希望」です。
彼らは現代でいう
「ワーキング・プア」なのです。
平成から令和にかけて深刻さが
増している「格差社会」の問題が、
本作品発表の昭和59年、
バブルのまっただ中の段階で
既に明確になってきていることに
驚きを感じます。
秀雄は喫茶店のウエイター、
光恵はパチンコ店の従業員。
どちらも地方出身で高校卒業後に上京、
以後転職を繰り返してきたのです。
まともに働いても生活には
余裕は生じないでしょう。
その秀雄の「いらだち」が、
巧みな表現の積み重ねにより、
読み手にはつぶさに伝わってきます。
そのため読んでいても
決して爽やかな気持ちになど
なれない作品です。
しかしながら、救いはあります。
一つは妻・光恵の包容力ある人柄です。
短気で暴力的、
思いやりなし甲斐性なしの秀雄を、
見捨てていません。
現代なら即離婚の危機でしょう。
ちなみに本作品は連作短編集
「大きなハードルと小さなハードル」の
一篇であり、その後に続く四篇では
この夫婦の数年間の生活が
描かれているとのことです。
二人は別れることなく
夫婦関係を継続できているのです。
もう一つは
秀雄の起こした前夜の暴力事件を
担当している警察官たちの、
なんともいえない寛容さです。
素直になれないでいる秀雄を
なだめたりすかしたりして
示談に持ち込み解決させているのです。
ドラマのように暴力的ではありません。
被害者の青年も含めて、
なんとも寛容な社会のあり方が
見えています。
バブルがはじけ、
昭和から平成へ、そして令和へ。
ワーキング・プア層は拡大し、
社会の格差が広がるとともに、
そうした「昭和的」な寛容さが
社会から失われてしまいました。
私たちの住む社会は、いつの間に
こんなに不寛容になったのかという
思いに駆られます。
作者・佐藤泰志はその昭和が終わって
わずか2年もたたないうち、
若くして自ら命を絶ちました。
佐藤が生きていれば、
今どんな小説を書いたのか、
気になるところです。
〔本書収録作品一覧〕
1984|極楽まくらおとし図 深沢七郎
1984|美しい夏 佐藤泰志
1985|半日の放浪 高井有一
1986|薄情くじら 田辺聖子
1987|慶安御前試合 隆慶一郎
1989|力道山の弟 宮本輝
1989|出口 尾辻克彦
1990|掌のなかの海 開高健
1990|ひよこの眼 山田詠美
1991|白いメリーさん 中島らも
1992|鮨 阿川弘之
1993|夏草 大城立裕
1993|神無月 宮部みゆき
1993|ものがたり 北村薫
(2022.6.9)
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