「百年文庫055 空」

「空(そら)」ではなく「空(くう)」なのでは?

「百年文庫055 空」ポプラ社

「聖家族 北原武夫」
春の日ざしの美しい朝、
いくのは小学校教員を
やめる決意をし、上京した。
画家としての修業、
貧乏を志した生活、
理想の男性との結婚、出産、
夫との別れ、
太平洋戦争の始まり、そして
二度目の結婚と幸せな生活。
しかし家族は…。

百年文庫第55巻のテーマは「空」。
「空」というと澄み渡る青空を
イメージしてしまいますが、
本作品で描かれている「空」は、必ずしも
そうではないのかも知れません。
なぜなら明確に「空」が舞台背景として
登場するのは「聖家族」だけなのです。
「懐郷」「悲しいだけ」には
空の具体的な記述が見当たりません
(見つけられなかっただけかも
知れませんが)。
では、「空」とは何か。

「懐郷 ムーア」
ジェイムズは病気療養のために
アメリカから
生まれ故郷アイルランドへ
戻ってくる。
彼はマーガレットに恋をし、
結婚の約束をする。
しかし都会に暮らし慣れた
彼の行動は、
ことごとく旧弊な
地元の司祭や人々の
反感を買っていた…。

もしかしたら「空(そら)」ではなく
「空(くう)」なのでは?そう考えると、
見えてくるものがあります。

「悲しいだけ 藤枝静男」
「私」と妻の結婚生活は
三十九年であったが、
妻が健康だったのは
最初の四年間だけで、
肺結核を宣告された後の
三十五年間は、
全て病魔との戦いだった。
「私」が煙草をのんでいると、
妻は傍らで
「私にもください」と言った。
妻はもう…。

「聖家族」は「空寂」の「空」。
昇天した三人は、
まさに実体はないものの
美しい魂のみが存在する「空」、
いわば色即是空です。
「懐郷」の「空」は「空虚」。
恋人のいる故郷よりも
酒場のある都会を選んだ
ジェイムズの晩年は、
まさに「空虚」です。
「悲しいだけ」は「空隙」の「空」。
「私」の心の空隙は埋まったのかどうか、
気になるところです。

その一方で考えるべきは、
三作が三作とも、
深く考えさせられる主題を持った、
重厚な作品であるということです。
「聖家族」の場合、
家族は果たしてどこへ向かったのか?
現実的な「安住の地」へ向かったのか?
それとも「魂の解脱」なのか?
戦争の破滅を寓話的に描いた
「大人のお伽噺」なのか?
「懐郷」では、
ふるさとに帰ってきた青年が
再び都会へと戻ってしまう経緯が
描かれていますが、現代日本に
そのまま当てはまるような状況であり、
ではどうするのか?という問いが
頭から離れません。
「悲しいだけ」では、
人が生きるということ、そして
人が死ぬということの意味を、
自らの生き方と照らし合わせながら
考えていかなくてはならない主題が
読み手の前に立ちはだかります。
「空(くう)」どころではない、
作者の思いが凝縮された
作品群なのです。

さて、
本書の三作品を書いた三人の作家、
著述業以外の顔を持っています。
北原武夫はファッション雑誌
「スタイル」の編集者、
ムーアは画家、
藤枝静男は眼科医と、
二足草鞋を履いていた面々です。
こちらも「空(くう)」どころか、
中身のぎっしり詰まった三人なのです。

百年文庫、やはり読み応えがあります。
百年文庫を取り上げるのも
これで42冊目です。
全100巻ですので、まだ遠い道のりです。
楽しみはつきません。

(2022.6.15)

lmareszによるPixabayからの画像

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