「ポロポロ」って何だ?
「ポロポロ」(田中小実昌)
(「日本文学100年の名作第7巻」)
新潮文庫
「ポロポロ」(田中小実昌)
(「ポロポロ」)河出文庫
ポロポロをやってると、
うしろはふりかえらないようだ。
うちの教会では、
ポロポロを受ける、と言う。
しかし、受けるだけで、
持っちゃいけない。
いけないというより、
ポロポロは持てないのだ。
持ったとたん、
ポロポロは死に…。
日本文学100年の名作全10巻中、
本書第7巻が最も難解な作品が多い
アンソロジーとなっています。
その中でも最も難解なのが
本作品「ポロポロ」です。
圧倒的にひらがなの多い、
描写も直接的で、
何ら技巧を施していないように
感じるのですが、わかりません。
何度読み返しても湧いてくるのは
「ポロポロ」って何だ?の一点です。
粗筋代わりに載せたのは、
「ポロポロ」なるものを
最も説明してある部分です。
一応、作品中には
「どこの派にも属さない、
自分たちだけの教会」で行われる
お祈りのようなものであることは
確かなのですが、
それは明確な言葉として
口から発せられるものではないのです。
しかも教会内だけではなく、
町の中でも「道ばたで立ちどまり、
ポロポロやりだす」。
それは「からだがふるえ、涙がでて、
もうどうにもとまらなく、
ポロポロはじま」るのです。
そしてそれはお祈りなどでは
ないのかも知れません。
「信仰ももち得ない、とドカーンと
ぶちくだかれたとき、ポロポロは
はじまる」というのですから。
こんな一節もあります。
「ポロポロは、感じるものでも、
わかる、わからないといったものでも
ないのだろう」。
つまり、無理に理解しようとするべき
ものではないということでしょうか。
では「ポロポロ」って何だ?
何かのメタファーである可能性が
考えられます。
作品全体を改めて見渡すと、
本作品は四つの部分から
成り立っています。
一つめは
祈禱会の夜の出来事、
教会の様子について、
二つめは
当時の時代背景(戦時中)について、
赤大根そしてミカン畑について、
墓の移動と人魂について、
三つめは
母の経歴について、
父の経歴について、
関東大震災における一件について、
信仰と言葉について、
四つめは
祈禱会のその日は
祖父の記念日であること、と
なっています。
そこに筋書きらしいものは見られず、
まるでヴァージニア・ウルフを
はじめとする文学における表現手法
「意識の流れ」のような形態で、
止めどもなく流れていくのです。
では、「ポロポロ」って何の暗喩だ?
考えられるのは、
「言葉にできない思い」なのでしょうか。
祈りの言葉を表そうとしても
言葉にならずにこぼれでてしまうのが
「ポロポロ」なのです。
伝えたいことや表したいことが
数多くあるけれども、
それを明確な言葉として
表そうとしても不可能であり、
無理に表そうとすれば
それは違ったものになる、と
いうことなのでしょう。
わかったような
わからないような解釈を、
自分自身に言い聞かせている私です。
でも本当に、「ポロポロ」って何だ?
※「日本文学100年の名作第7巻」
収録作品一覧
1974|五郎八航空 筒井康隆
1974|長崎奉行始末 柴田錬三郎
1975|花の下もと 円地文子
1975|公然の秘密 安部公房
1975|おおるり 三浦哲郎
1975|動物の葬禮 富岡多惠子
1976|小さな橋で 藤沢周平
1977|ポロポロ 田中小実昌
1978|二ノ橋 柳亭 神吉拓郎
1979|唐来参和 井上ひさし
1979|哭 李恢成
1979|善人ハム 色川武大
1979|干魚と漏電 阿刀田高
1981|夫婦の一日 遠藤周作
1981|石の話 黒井千次
1981|鮒 向田邦子
1982|蘭 竹西寛子
(2022.7.7)
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